豊島区における実例

日本の都市における自転車利用を巡る情況は,まさに否定的であるといわざるを得ない。これは単に欧米先進国との比較においてではなく,我々都市住民の意識と,住民と環境にとっての優しさのメルクマールとしての意味も持っているといえる。
東京23区の中で,また全国の中でも,住民に優しくない方から数えた方が早いものの一例を,ここに紹介する。

「“放置”自転車日本一」はこうしてつくられた

概念と定義

さる統計によれば,池袋駅東口「周辺」が「“放置”自転車日本一」となったという。だがここには不審な点がいくつかある。第1は,駅の「周辺」が指す範囲の問題である。第2は,「“放置”自転車」の意味するところである。少なくとも「放置」という言葉の辞書的意味通りに存在する自転車が殆どないことはいうまでもない。駐輪を禁止する条例の適用範囲を行政的手続で指定した範囲が,第1の問題点の一応の答えということになろう。また,その範囲内にあって,区が設置した駐輪場を利用しない,すなわち行政当局たる区の意に沿わないものを指していうものだというのが,第2の問題点に対する答えになる。すなわち「“放置”自転車」とは,行政当局が恣意的に設定できる政治的概念なのだ。このことをまずしっかりと確認しておこう。

「“放置”自転車」という概念の内実を分析することなく,ただそれを所与の前提として議論することが,生産的でないばかりか,自らを陥穽へと導く危険すらあることを,指摘しておきたい。もっとも我々の周りで日常的に目や耳にしているものの中にも,時にはこのように自覚的に,その内実について分析のメスを入れるべき事柄は少なくないはずだ。中には,そうしなければ知らず知らずのうちにとんでもないところに流されていってしまう事柄もあろう。これを教訓にして,我々の周囲を再検討して,健全な批判精神と主体性を回復する機会としようではないか。(「放置」・「撤去」などのコトバ・概念の不当性については「日本の都市における自転車利用の現状」を参照)。

なくならない&なくしたくないカモ

「“放置”自転車対策」が,利権創出の機会と結合していなければならないというのが,行政の対応の根底にある。いかなる名案もそれが伴わねば,実現されることはない。特にバブル経済崩壊後の長期不況下にあって,いわゆるハコモノや道路建設が困難な中,「“放置”自転車対策」が,土木的利権創出のまたとない口実となる。また造るときに金をかければ,その後の維持・管理費用もそれだけ余計にかかってくる。そのツケは自転車利用者をはじめとする区民に回ってくる。しかも「“放置”自転車」がある限りそれを果てしなく膨張させることが出来ると目論んでいる。対策対象数が「日本一」なら,費用がそうなることなどお構いなしだ。財政非常事態宣言を出し,職員の首切りまで始めた豊島区だが,決して懲りてはいない。


池袋駅東口前に駐輪されている自転車(パルコ前付近.2000.9.9)

土曜日の午後で,買い物客の自転車増える時間帯に撮影。このように十分な広さがあるところでは,駐輪スペースとして指定したり,簡単な屋根をつけて駐輪場とする自治体が多い。これが最も簡単で安価で,かつ自転車利用者にとっても有益なやり方だが,豊島区ではそうすることはない。他の23区の中にはそうしたものを造っているところもあるが,予め利用登録が必要なものもある。全国的には大都市部を含めて,無料・登録なしで利用出来るのが普通だ。これを条例上合法化してしまえば,カモとしての「“放置”自転車」が存在しなくなってしまう。かくして「“放置”自転車」が創出されることになる。

マスコミによる報道姿勢(1)

日本のマスコミは,概して自転車に関する意識や関心は高くない。移動・交通手段としての位置づけや,環境問題との関連でとらえることに積極的なところは皆無に等しいのが現状である。その結果,行政側のたれ流す情報を,活字や電波に乗せるだけになってしまう。日本のマスコミがお上の流す情報をたれ流すのは,何もこれに限ったことではなく,全般的な根深い問題である。

欧米先進国ではこのような低劣な姿勢で自転車を取り扱った報道は皆無といえよう,もしあっても市民からソッポを向かれるだけのことだ。Web上で世界の報道に簡単にアクセス出来るようになった今,そのことは我々の眼にも一層明らかになっている。


駐輪場完成を口実に駐輪規制強化しようとする区の政策を報じる地元紙『豊島新聞』(左;2000.1.18)。

同紙掲載の写真とほぼ同じ場所を撮影。(右;池袋駅東口・西武百貨店前歩道上.2000.9.9)

「ワースト」という明らかに否定的価値判断を含んだ語句を使うことに無自覚でいる。続く「返上」というのも同様だが,こちらは何に「返上」するというのだろうか? またこの付近の歩道はパルコ前などに比べて幅が狭くなっているが,歩行者の通行に支障が出ることはない。ただ車道側への傾斜が大きいので,自転車が置いてある側に引き寄せられる感じがするかも知れない。新聞の写真では,さも自転車が歩道一面にあふれているようにも見えるが,決してそんなことはない。右の写真と比べてみれば一目瞭然であろう。違いは,自転車に対する姿勢の違いだけだ。こういうのは偏向報道とはいわないのだろうか?

 

池袋駅東口(2001.7.9)

梅雨の長雨で,自転車利用者が一時的に少なくなる時期をねらって,豊島区は自転車敵視政策を強化した。「“放置”自転車」であるとして持ち去った自転車の返還に際して要求する費用を3000円に値上げし,自転車利用者からの収奪を強化した。また,障害物を,税金をつぎ込んで設置した。障害物の分,舗道が狭くなっているだけでなく,自転車への敵視感情を植え付ける作用も意図されている。この箇所を駐輪スペースとして整備すれば,歩行者・自転車双方にとってこの上ない利益となることは言うまでもない。


グリーン大通り(2002.2.7)

池袋駅東口から護国寺方面にのびる道路は日の出通りと呼ばれてきたが,このうち東池袋付近までをグリーン大通りと呼ぶようになった。2001年10月,豊島区当局は,この歩道上を年間契約制有料駐輪スペースとし,駐輪非合法化範囲を拡大するという暴挙に出た。これにともない数十メートル間隔で管理員を配置し,通行人ににらみをきかせている。もっともこのスペースが利用されているのは池袋駅に近いところだけで,北側のほとんどと南側の東池袋に近いところでは利用者がいない。利用情況を無視した結果だ。この中でもっとも池袋駅に近い部分では,登録者以外の自転車利用者をスペースから締め出すのが,彼等管理員の主たる任務となる。そのため,車道沿い以外の,従来は駐輪されることのなかったところに自転車を置かざるを得ない利用者が多くなった。

いたる所にみられる豊島区の自転車敵視政策

いうまでもなく,建造物にはそれを設計・運営する側の意識が投影されている。そこで豊島区の公共施設などに,自転車に対する区当局のどのような意識が反映されているかを,みていくことにする。以下に示すものは,相対的にひどい部類に属するものの,決して特異な突出したものではないことも,付け加えておく。

そもそも自転車担当部署は自治体によって異なり,従来豊島区では,土木部交通対策課であったが,2000年4月の組織変更時に交通安全課と名称変更した。名称は変わっても,自転車敵視の姿勢は一層強化されている。その実たるや,中世ヨーロッパの魔女狩りや,ナチスのユダヤ人絶滅政策,さらには旧ユーゴスラヴィアでの“民族浄化”などと共通するものがあるといっても,決して言い過ぎではない。

いきなりこのようにいわれても,余りにも飛躍があるように思われるかも知れない。もっともこれを飛躍ととらえるのも的外れなのだ。というのは,このことが区当局の姿勢に見られるというだけでなく,我々市民の中に少なからず存在しているであろう,「“放置”自転車」に対する悪感情の根底にも見られるものだからである。なぜ「“放置”自転車」を不快に思うのかを,率直に,しかも突き詰めて考えて戴きたい。

一言でいうならそれは,自らとは異質な他者として認識するからである。共感やアイデンティファイの対象として認識されるのではない。となれば,排除・抹殺の対象とするか,或いは自らに同化させるべく相手に一方的変化を求めることになる。権力や暴力も動員してそれを現実化させようとすれば,行政,さらには警察の出番が現れ,「市民」と権力との共犯関係が出来あがるのである。

それが突き進んでいけば……,賢明な読者の皆さんには最早これ以上の説明は不要であろう。以下にも述べるように,豊島区をはじめとする現下の自転車政策は当然にも批判され,変革されなければならないが,それを一方で容認・支持してきた「市民」の側もまた,自転車のみならず,多様性を持った都市住民や自然環境との共生という観点から,変革を求められるのであるといわねばならない。行政への批判はその手段である。




JR東日本目白駅付近(2000.9.9, 2001.2.20 & 2002.2.12)

この5年ほどの間,駅舎建て替えと,駅前を通る目白通りの陸橋の架け替えのため,景観は変化しつつあるが,自転車を巡る情況は,まさに悪化の一途をたどっている。左は,駅東側に以前からあった駐輪場。工事事務所がその上に作られ,交番も隣接しているが,駅前及び目白通りから,自転車を隠蔽する形になっている。となれば当然にも人目にも触れにくくなる。ここには区から派遣された管理員が自転車の整理にあたるが,彼らはそれをいいことに自転車を乱雑に扱い,さらには破損などの犯罪的行為に及ぶなど,区内でも突出して最悪の駐輪場であった。2000年冬に駅舎建て替えが済み,駅前にスペースができ,駐輪するようになった。区当局は,お役所特有の年度末の残り予算消化のため,駐輪に制限を加える形でプランターなどを設置した。だがこれにとどまらず,区当局は,有料駐輪場の設置と駅周辺の駐輪非合法化を強行しようとしている。下もそれにともなって廃止される。




JR大塚駅付近(2001.3.2)

94・5年頃は,駅前駐輪に対する弾圧が激しかったが,このところは緩和されているようだ。だがそれ以前の情況にまでは回復していない。南口にはまだ駐輪スペースの余裕がある(上段右)。北口では駅近くでのビル建設のため,駐輪場が減少している(上段左)。以前は線路際の空き地が駐輪場になっていたが,なぜか今はフェンスで囲って使用させなくなっている。なお,この先には急な登り坂があり,その頂上に小さな駐輪場がある(下)。




駒込駅付近(2002.2.7)

駒込駅は営団地下鉄南北線とJR西口が豊島区で(左上),東口が北区(右上)。豊島区側ではわざわざもっとも建設費と維持費(言うまでもなくこれは利用者に転嫁される!)がかかり,収容台数が少なくなる地下駐輪場を建設し,その上の地上部を活用しないままにしている。そのため,六義園近くの文京区の路上への駐輪も(下)。これに対して北区では,線路際のスペースを有効利用して,無駄な費用をかけず,利用しやすい形態になっている。「東京都北区における実例」参照。

都市景観からの自転車の抹殺

人の生活が感じられない街を「美しい」と思う感性はあまりいただけないものだ。だが行政にはそれをよしとする人間が多い。彼らはあたかも図面や模型を作るような感覚で,人が暮らす街をデザインし,権力を以てその通り現実化しようとする。生身の人間がそこで生活するという,ごく当然のことが,彼らの脳裏には欠落していることが多い。そうして何の躊躇もなく,そこに我々の血税が投じられてゆくのである。

一般に,「“放置”自転車対策」といっても,その方法は無数にあり,特定の具体的情況下においても,幾通りもの選択肢が存在しうる。そこから現下のあり方を選択したところの,区の姿勢について分析しよう。性懲りもなくわざわざ金の掛かるようなことをやりたがる,とか,初めに工事ありきの姿勢の存在については先にふれた。土木部がやるのだから致し方ないという結論を導き出して終わるようでは,分析や検討をしたうちには入らない。

2000年4月,池袋東口地下駐輪場が完成したことを口実に,同地域の「“放置”自転車対策」が強化されたが,同様のことは数年前に同じ池袋駅の西口で強行された。駅から徒歩5分では行けない公園の地下を駐輪場にしたのである。駅から遠く,場所も地下故に解りにくくしかも有料となれば利用率が上がらないのは当然だが,駅前路上の駐輪を条例上非合法化することで,駐輪場を存続せしめているという先例があるのだ。東口の場合は,それより駅には近いが,敢えて目立たなく作っているところと有料であるところは変わりない。しかももっとも金のかかる,地下化という方法を選択した点でも共通している。しかも後者の場合,元あった無料の駐輪場を壊して,それより収容台数が大幅に少なくなるものを造り,その地上部を駐輪禁止区域にしてしまった。利用者からすれば,いっそ初めから何もしない方が良かったといってしまえばそれまでだが,区当局にとっては,これほどのコストをかけて現実化したことがひとつだけあるのだ。

それは,都市の景観から自転車を抹殺することである。豊島区における「“放置”自転車対策」の目標はそこにあるのだ。地下化とはいかなくとも,豊島区の公共施設の駐輪スペースは,大概そのように設定・運営されていることが解る。ニーズにあわせた駐輪場所の設定を行うという発想や,しかも限られた予算を有効に使うという観点からは,決して出てこないようなことが行われている。彼らの感性からして,都市景観における“美観”を損ねると認識されるところの自転車を,いかにして視界から排除し,目障りでなくするかが問題なのだ。

こうした例は,区内各所に見ることが出来る。


池袋東口地下駐輪場の上。右の写真は入り口スロープ(2000.9.9)

JRの線路に面した細長い土地。元々この場所には公園があり,無料の駐輪場として利用されていた。豊島区はこの地下を掘り下げて駐輪場とした。しかもその地上部分は駐輪禁止区域にされてしまった。当然収容台数は少なくなりかつ有料となった。この地下駐輪場の完成を口実にして,池袋東口の「“放置”自転車対策」が強化された。この地下駐輪場の存在意義があるとすれば,都市景観から自転車を抹殺する効果に求めるべきであろう(内部の撮影は拒否された)。


池袋西口地下駐輪場の上 (2001.2.20),池袋西口近く(2002.2.12)

同駅東口地下駐輪場の先例となったのがこれ。池袋駅西口から徒歩数分の,公園の地下を有料駐輪場とした。駅前から離れていて利用が不便で,利用者が少ないことをマスコミに取り上げれれたことがある。だが,その問題の本質はそれではなく,区当局による土木利権の追求,大衆収奪及び都市景観からの自転車の抹殺という,自転車敵視政策にある。いくら愚策を強行しても,自転車利用のニーズという現状を無視することはできない。


約20年前の池袋附近

現在東京芸術劇場があるあたりは,学校やグラウンドに利用されてきたため,まとまった面積の土地があった。再開発の過程で自転車が放逐され,かわってわざわざコストが嵩む施設をつくって,そのツケを区民に回してきたことが判る。少なくともグラウンド脇に駐輪されているだけでも,現在の池袋駅西口の駐輪場の収容台数を超えるのは明らか。『写真で見る豊島区50年の歩み』(1982年10月)より。


巣鴨駅北側(2002.2.7)

池袋駅東口に1年遅れて,巣鴨駅周辺での駐輪が非合法化された。JR・都営地下鉄両者から離れた判りにくい場所に,必要以上に多額に費用をつぎ込んで駐輪場が建設され,そのツケは利用者に回ってくる。


東長崎(左)・椎名町(右)駅前の駐輪場 (2002.2.12)

いずれも西武鉄道が運営する駐輪場。料金も公営駐輪場より高い。鉄道事業者が駐輪場を運営すると自転車利用者の負担が増えることを示すもの。


西武池袋線椎名町駅附近 (2002.2.12)

駅北口の東側(池袋寄り)には駐輪場はないが,駐輪需要はある。駅南側では公園が駐輪スペースになっている。


有楽町線千川駅付近 (2002.2.12)

有楽町線が通る上の道路には広い舗道があり,駐輪スペースとしてつくられたものがある。豊島区当局はこれを使わせず,そのそばに有料の駐輪場をつくっている。


有楽町線要町駅付近 (2002.2.12)

既成の歩道上の駐輪スペースから自転車を放逐するのは,千川付近と同様。要町駅付近の駐輪場は,少し離れたビルの地下。通りに面していない細い路地沿いに入口があり,中の様子はもちろん見えない。こうした構造の駐輪場では,管理員の自転車の扱いや態度が劣悪であることが多いというのが,豊島区の特徴。それより夜間女性の利用は危険。


雑司ヶ谷隧道[We Road](左・池袋)と角筈ガード(右・新宿) (2003.3.17)

雑司ヶ谷隧道は,池袋駅北側にあり,JRと東武東上線の下を通って東西を結ぶ自由通路。豊島区当局はこの路面と壁面をタイル張りにして「We Road」なる愛称をつけた。このころから自転車での利用に不当な規制を加えるようになった。最近では,「危険」を口実に自転車を押して通るようにスピーカーでがなり立てたり,民間ガードマンを配置して強権的に従わせようと躍起になっている。これは豊島区当局の愚策の責任転嫁にすぎない。路面は以前のアスファルト舗装の方が滑りにくかったし,壁面のタイルと天井の塗装は蛍光灯の分光特性からして,タダでさえ少ない照明の効果を,視覚上さらに落とすものなのだ。このことは,ほぼ同じ断面積である新宿駅北側の角筈ガードと比較してみると一目瞭然だ。長さあたりにして,こちらの蛍光灯は雑司ヶ谷隧道の3倍ある。路面や壁面にはよけいなコストをかけず,肝心なところに集中的に投資したというべきか。最小限のコストで利便性と安全が図られていることが解る。

これが文化施設か?

「仏作って魂入れず」という諺がある。豊島区の場合,バブル崩壊後に豪華庁舎建設を目論み頓挫したこともあって,目下無駄な費用を費やした施設建設は少なく,かといって不足・不自由も少ないので,量的には公共施設のハード面では健全といえる。しかしながら,その設計や運営については,区当局の先に述べたような姿勢が貫徹している。図書館などの文化施設においては,その品格と価値を激減させるものだ。教育施設においては,子どもたちに自転車を粗末に扱い敵視することを教えているに等しい。


豊島区立中央図書館(2000.9.9)

豊島区立図書館の中心となり他館を統括する存在であるが,自転車に対する態度はひどいものがあった。春日通りに面している同館では,そこから入り口に至る階段の側に駐輪スペースが指定されていたが,通りから館内からも見渡せない入口に至る階段下にも駐輪スペースがある。後者は不便であるばかりか治安上の問題からも利用が進まなかったため,何とか利用させようとしていた。一方で清掃時に自転車に向かってゴミや残雪をかけたり,放水したりするというように,自転車をゴミ以下としか見ていないような愚行をはたらく職員もいた。こうした彼らは,ついにある年度末,前者をつぶしてプランターを並べ,駐輪スペースとして利用できなくした。最近は,治安上のクレームがあったのか,後者に管理員が常駐するようになった。このように施設・人員両方にわざわざ出費を嵩ませている。その分でどれだけの図書が買え,どれだけの図書館サービスが向上可能であったかを,想起してもらいたいものだ。


豊島区立千登世橋教育文化センター(2000.12.9-12)

バブル期に完成した複合文化施設。建物の運営・管理は区の外郭団体が行い,警備は民間委託のため,ハード&ソフトともにバブリー。明治通りに面して正面入口があり,その脇に通りの人目から隠すような形で駐輪場がある。収容台数と治安上の理由から,積極的に利用しようとする人はまれで,自ずと明治通りの歩道上に駐輪することとなる。何時間かに一度の割合で巡回してくる警備員の中には,恫喝めいた口調で駐輪場利用を強要したり,無断で自転車を駐輪場内に持ち去ったりする者もいた。その入り口付近には消火栓があるが,その前にも駐輪を容認・強要するなど,その行き過ぎは最早本来の役目である保安・防災と矛盾すらしているのである。


豊島区立上池袋図書館(2000.9.9)

豊島区立図書館としては最も新しく,しかも公園内の一角にある。自転車が図書館に至る通路のど真ん中に集められている。このような不自然な姿になったのは,公園に隣接する住民から文句が出たからだという。そのため開館・開園当初から,民家に接する側には,植え込みの前にさらにチェーンが張られている。公園で不審な行動をとろうとする者がわざわざ民家に近いところでするとは考えられないが,それ以上に区による自転車敵視政策が住民の意識に反映された結果といった方が適切だろう。


文京区立目白台図書館(2000.9.9),豊島区立ことぶきの家(2002.2.7)

文京区は豊島区の東隣。参考までに紹介しておく。同区施設の駐輪場は,沿道に面し,かつ施設内からも見渡せるところにあることが多い。駐輪してから入館までの流れがスムーズであるばかりか,人目があるだけに管理員を置かなくても自転車が犯罪に遭う可能性は低い。それでいて設置費用も極めて安価で,維持管理費用も殆ど掛からない。一見特別なことは何もしていないように思われるが,実はそのことが最大の効果をもたらすというすぐれものなのだ。右は豊島区の施設でこれと同じ形態の駐輪施設がある数少ない例。場所的には文京区との境に接している。「文京区における実例」参照。

民間への圧迫

豊島区当局は,自らの面子や土木的利権追求以外の面でも,自転車敵視政策を進めている。区内大規模小売店舗に「駐輪場設置を指導する」なる名目でコスト負担を強要していることの実体は,都市景観からの自転車の排除に他ならない。店の前に並んだ自転車は千客万来の証であり,さらなる客を呼ぶ広告塔である。

長期不況下にある小売店では,売上げや利潤の確保のみならず,市場のニーズへの対応,顧客の囲い込みなどのマーケッティングがいっそう重要になっている。そこでは自転車利用者への対応も重要なファクターの一つとなる。顧客数・商圏・客単価の増加・拡大のために,自転車及び利用者を有効に活用する営業努力をしているところがある一方,顧客や市場ニーズから乖離した自らの営業不振の原因を省みることなく,目に付いた「“放置”自転車」に八つ当たりし,自らをさらなる窮地へと陥らせるところもある。

大小規模の小売店と並んで自転車への対応を求められているのが鉄道事業者である。2002年に入り豊島区当局は,「“放置”自転車」の利用者が鉄道を利用しているとの口実のもと,鉄道事業者に“撤去”費用を課税するという「放置自転車等対策税」の導入を公然と画策し始めた。すでに豊島区に限らず私鉄沿線では,鉄道事業者が運営する駐輪場が,公営駐輪場より高額の利用料を要求することが多く,都心から離れたるに従って独占価格となる傾向にある。駐輪場を営利事業の対象とすることで,自転車利用者の負担が重くなるのだ。豊島区当局の課税策動は,これをいっそう助長する危険性がある。のみならず事業者に対しては,「“放置”自転車」対策のコスト負担で圧迫し,しかも自らの利害とは異なる区当局のそれに従うことを強要するものである。これらのツケは最終的に自転車利用者をはじめとする人民に転嫁される(「豊島区による「放置自転車等対策税」導入策動を弾劾する」を参照)。


池袋三越(2001.1.9)


東急ハンズ池袋店前・ジュンク堂書店前・ビックパソコン館本店前

東急ハンズでは,以前から店頭の来店客の自転車を,向かい側のビルの前や側面に無断で移動してきた。さらに店舗から離れたところに駐輪場を設けているが,解りにくいばかりか,夜間,特に女性には危険な場所である。


ライフ椎名町店(左),ピーコック目白店 (右)(2002.2.12)

いずれも店頭に駐輪スペースをとり,自然と来客を呼び込む構造になっている。ライフでは豊島区シルバー人材センターに整理を委託しているが,同センターが担当するなかでは自転車の扱いが丁寧。といっても他店に肩を並べるほどではない。「板橋区における実例」参照。


メトロポリタンプラザの駐輪場 (2002.9.25)

池袋駅を通る電車内から見える駐輪場がこれ。メトロポリタンプラザは,池袋駅西口の南寄りにあり,東武百貨店や専門店からなるショッピング街の上にオフィスフロアをあわせもつ。そのさらに南側のびっくりガードに至る線路沿いの場所に駐輪場をもっている。一時利用100円,月極1000円と,利用料金が公営駐輪場より安い上に,メトロポリタンプラザで1000円以上の買い物をすれば当日の利用は無料になる。もっとも東武東上線の入り口には近いが,営団地下鉄丸の内線・西武新宿線には遠い。売上げと客単価の増加及び顧客の囲い込みをねらったものだろう。豊島区による「放置自転車等対策税」導入策動は,自転車利用者の立場を無視・抹殺するのみならず,こうした商店・鉄道事業者の営業努力をも蹂躙するものである。
豊島区でも一部の駐輪場で短時間の利用を無料にしているが,こちらは商店の売上げには寄与していない。のみならずこれが,利用形態の異なる自転車利用者を分断するという,政治的意図によるものであることを見逃してはならない。

何のためにやるのか?--いつか来た道

「“放置”自転車」の権力者にとっての存在理由は,すでに述べた利権や感性だけに求められるのではない。国民を上から組織化・統合してゆくための機会として利用されている。中には「国家総動員体制」つくりかと思わせるものすらある。「“放置”自転車」は,そのためのいわば仮想敵として措定されている。平時より,その意味に無批判なまま大衆動員を行っていけば,それがどこに行き着くだろうか? そしてその時動員された大衆はその矛先をどこに,何に向けるだろうか?

マスコミによる報道姿勢(2)

日本のマスコミが自転車について取り上げる場合,レジャー・スポーツとして取り上げることもあるが,移動・交通手段として積極的に取り上げることはまれである。従って「“放置”自転車」問題として扱われる割合が多くなる。その場合,行政当局の立場に立って,そのスポークスマンとなり,さらにはその尖兵となって,反「“放置”自転車」の一端を担うのである。その中で彼らは「『“放置”自転車』=悪」という図式を作りあげ,自らをそれと闘う「正義の味方」であるかのごとく錯覚し,市民に自転車に対する悪感情・敵対意識をあおり立てるという犯罪的役割をも果たしているのである。

自転車に関していうならば,少なからざる日本のマスコミは,権力に対するチェックという役割を放棄しているといわねばならない。そのようなものが民主主義社会の公器といえるのだろうか? もっともこうした姿勢によって直接害を被るのは自転車利用者だけにとどまるのだろうか? 権力への屈服と盲従がもたらしたところの最たるものを,私たちは半世紀あまり前の歴史の中に見いだすことが出来る。「大本営発表」がそれである。今再びいつか来た道をたどることにならねばいいが。

日本マスコミの自覚と奮起を促したい。

区当局による反「“放置”自転車」キャンペーン

反「“放置”自転車」キャンペーンの最大の担い手は地方自治体である。もちろんその程度は千差万別であって,東京都豊島区は,全国でも突出して悪質なものの1つであるといえよう。おりにふれて,区広報紙上や大衆動員を通じての,反「“放置”自転車」キャンペーンが行われている。それ自体はほかでも行われているが,ここでは,自転車への敵視意識が突出しているのはもちろん,その貫徹を図るにあたって数々の反人民的行為に及んでいるのである。

「“放置”自転車」の「撤去」にあたって「クリーン大作戦」なる旗印を掲げることがある。個々の利用者の目的があって存在する自転車を,このように扱うこと自体不当であることは言うまでもないが,その排除を,あたかもゴミを掃除するのと同じように言うこともまた不当であるといわねばならない。さらには,そうしたものが排除された空間を“美しい”とするような感覚を持つことを強制していることを,見逃してはならない。これはもはや権力による個人の内面への不当な干渉であり,思想・信条の自由の侵害である。

「“放置”自転車」の「撤去」はもちろん,駐輪場での整理にあたるのは,高齢者の仕事となっている。日本がファシズム体制を極めた時期に年少期を過ごし,そのもとで教育を受けた彼らは,当然にもこのような問題に無自覚であるばかりか,その尖兵として機能している。それ故に,とりわけ中国人,韓国・朝鮮人らアジアの外国人に対する敵視・蔑視は激しく,作業中に彼らの姿を見るや犯罪者よばわりしてみたり,彼らを侮蔑する言動に及ぶという,暴挙・愚挙すら平然と行っている。民族・人種差別の最大の温床がここにある。人口の約1割がアジアの外国人でしめられている豊島区において,これは看過できない問題である。


反「“放置”自転車」キャンペーン報道の例(『読売新聞』2000.8.23)
この件に関しては,『豊島新聞』(2000.8.29)も同様に報じている


区広報紙による反「“放置”自転車」キャンペーンの例(2001.3)
中国人女性に,区当局の意を受けた“作文”を書かせたもの。自転車利用者の敵対者であるという自覚がない彼女の笑顔を見ると,不気味なだけでなく,背筋が寒くなってくる。

(2000.12.13. 2001.3.16, 7.10, 2002.2.8, 2.14, 10.29 & 2003.3.18追加)


附記

豊島区による課税権の愚民的濫用を斬る!

これについては,「豊島区による「放置自転車等対策税」導入策動を弾劾する」を参照されたい。

国土交通省「まちづくりと自転車を考えるホームページ」を斬る!

豊島区及びそれと隣接する板橋区にわたる自転車道路計画は,国土交通省(旧・建設省)の「まちづくりと自転車を考えるホームページ」で「モデル都市 8 板橋区・豊島区(東京都)」として紹介されている。また区自身が「板橋区・豊島区 自転車利用環境整備基本計画 ―概要版―」で紹介しているにいたっては,もはや呆れるばかりだ。「モデル都市」というもっともらしい名前が付いていても,その実は真に自転車利用者のためでないことについては,「TV番組「金曜フォーラム」批判」を参照されたい。