新宿区における実例

概況

この何年かで,東京での自転車利用は不便になっている面がある。

その一つが駅前での駐輪場所確保だ。私の場合,23区の大半なら直接目的地まで自転車で行けるが,郊外の私鉄沿線や都外ともなるとそうもいかない。そこで必要になるのがPark & Rideだ。すなわち,新宿・池袋などのターミナル駅まで自転車で行ってから電車のお世話になるのだが,そうした駅前で自転車を止める場所が確保しにくくなっているのだ。

だいたいどこの駅でも,人車の通行に支障がなく,しかも利用されていない場所があって,そこに自転車をとめておけばよかった。だが最近これらに「“放置”自転車」などというレッテルを貼って,駐輪場所を奪い,代わって有料の駐輪場を設置して,その利用を強要するという事態が横行している。

しかもその料金たるや,電車の1区間の運賃と同じくらいかやや高いくらいで,定期利用の料金設定があっでも定期券並になってしまう。最近は特に,アルバイトや派遣社員で通勤費が支給されないことが多くなっているので,通勤費の節減に自転車を利用しても意味が無くなってしまう人が増えている。通学に利用する学生・生徒の負担もこれまた楽ではない。もはや行政による大衆収奪の餌食になってしまっているといわねばならない。私鉄沿線では,以前から行政と並んで鉄道会社が駅前に有料駐輪場を設置することが多く,これまたいいカモにされてきたわけだ。


JR新宿駅東口,My City北側の線路際の空き地(東京都新宿区。2000.10.25)
西口地下“通路”からのホームレス放逐に続いて,格好の自転車置き場も奪われた。


新宿東口の駐輪スペース (左,2001.5.22),靖国通りの駐輪場(右,2005.4.16)

少し離れたところに,その代わりともいうべきものが出来ている。ただし,駐輪場として指定されたものではなく,事実上の存在として認知されているものといえる。今度はしっかり守り抜きたいものだ。最近は新宿区当局も新宿駅からやや離れたところにこうしたものを設けるようになった。



新宿駅南口(2001.9)
駅ビル・ルミネから甲州街道に沿って東口に降りる階段の下に駐輪場がある。もちろん有料。
収容量も少なく入口も目立たないが,利用率は高い。これが新宿駅東口一帯での自転車放逐の口実になっている。


歌舞伎町(2001.9,2005.4.16)

繁華街にカラーコーンが並ぶ姿は異様だ。この地域では,ポン引き・チンピラ・用心棒などの民間人が,自らのなわばり近くに駐輪する自転車に因縁を付けることが多い。行政当局よりタチが悪い民間人の例である。以前この場所には噴水があったが,早慶戦後の早大生が飛び込んだりするため埋め立てられた。

排除の対象として

こうした鉄道会社や行政の自転車に対する態度の,一つの極北がここにある。大学院の時,新宿駅まで自転車で来て,京王線で通っていた。その時に主に自転車をとめていたのが,JR新宿駅東口のMy City北隣の線路際の広告の前の所だ。ここには100台以上の自転車がとめてあり,空いたところにはホームレスの人がいることが多かった。

そのお陰で,自転車が盗まれることはもちろん,いたずらや破損の憂き目にあうこともなかった。いわばこのホームレス氏はヴォランティアの,しかも立派な自転車管理員であったわけだ。ここに自転車を置いておけば,自転車の心配をせずに,一日大学で研究に打ち込むことができた。結果として修士号もとれたわけだから,半ば恩人に近い存在と言うべきであろう。

そのころ,同じ新宿駅西口の地下“通路”--かつては「広場」であっだが,かのフォークゲリラを弾圧するため「通路」と言い換えた曰く付きの場所でもある!--に増えつつあったホームレスの人たちが,その住居である段ボールハウスの1つで起こったボヤをきっかけに「“自主”退去」に追い込まれるという事態も起こっていた。それがやがて東口にも飛び火したのだった。

ある日この場所に,JRが場外券売所を造るという,あまりに見え透いた口実--このこと自体にホームレスと共に自転車利用者をあまりにもバカにした当局の態度が如実に反映されている!--で囲い込みを始め,有料駐輪場の利用者を増やそうと企んだのであろう新宿区が尻馬に乗っかった。そして囲い込んだ後にはJRの場外券売所はもちろん,ましてJRAの場外馬券売場のごときも造られることはなく,ただこのようにプランターが並べられて,現在に至っているのだ。

権力や暴力で排除・抹殺を貫徹した後に,その排除したこと自体を隠蔽するために,花を利用するという例は他にもある。60年代にスチューデントパワーが全国の大学を席巻した後,学生集会に利用されたキャンパス内の広場を花壇にしたりプランターを並べたりして,集会の場所を奪って,運動の再高揚の芽を摘もうとしたことを知る人は,もはや少ないであろう。また,校内暴力盛んなりし頃のある中学校で,髪を染めたツッパリ少年が卒業アルバムの写真を載せてもらえず,彼らの写真のスペースは花壇の花になっていたということもあった。

排除の手段に使われる花も哀れだが,時には花を見た時に,そこにかつて存在したであろう,排除されたものへ思いをいたす必要があるということも,心のどこかに留めて置いてもらいたい。また,無自覚のうちに排除に加担する側に廻ることは,断固として拒否したいものだ。

(2000.11.2)


JR新宿駅西口地下“通路”(東京都新宿区。1998.2.16, 2003.9.19)

段ボールハウスでのボヤをきっかけに,ホームレス放逐・排除が事実上強行された。段ボールハウスのあったところには仮囲いがつくられ,中には彼らが戻ってこれないよう障害物などが設置された。青島都政が,生活者に冷酷なものへと転換していく,象徴的なターニングポイントでもあった。彼らの存在を「目障り」と感じる感性の刃が,ついで自転車に向けられることになった。


柵のある公園 (左,2005.4.16),監視カメラ (右,2004.4.1)

ホームレスを排除するため,新宿区当局は新宿駅に比較的近い公園に柵を設けて夜間立入禁止にしている。2004年頃から繁華街に監視カメラが設置されるようになった。新宿区当局による排除と監視の強化のエスカレートを示す例といえる。

裁量行政が生み出す「“放置”自転車」

「“放置”自転車」というものが,存在論的概念ではなく,政治的概念であることは他でも述べたとおりである。字義とは違ってるものであることに到っては,最早繰り返す必要はないだろう。現実には行政当局の一方的な都合によって,駐輪を認める対象たらしめるか否かが,決められている。自転車を利用する側の目的や事情は様々であり多様なものである。それを一元的基準や,担当者の裁量によって決められること自体が,自転車利用の障碍となっていると言わねばならない。ひいてはこうした過程を通じて,自転車利用者の間に,また自転車利用者とその他の市民との間に,分断と対立を作り出していることも,見逃してはならない。


営団地下鉄東西線早稲田駅付近(東京都新宿区。2001.1.1, 2003.9.19)

歩道のスペースを活用した駐輪場。収容台数と費用の関係で言えば,もっとも効果的なものだ。1年で最も利用が少ないと思われるときでもこれぐらいの需要がある。しかしその利用は区に利用申請をせよとのこと。さもなくば「“放置”自転車」とみなすという。これは,行政当局の裁量によって「“放置”自転車」か否かが決められることを意味する。のみならず,その条件・基準により,自転車利用のあり方を干渉することになる。これは「交通権」の侵害に到る危険もある。同様の例は文京区他でも見られる。
早稲田通りでは,自転車を排除するためのバリケードと角材が通行の障害となっている。

(2001.1.1, 2003.9.26)


都営地下鉄大江戸線西新宿駅附近(左), 新宿西口地下駐輪場(右) (2003.9.19)

青梅街道に沿った交通量が多いところゆえ自転車利用のニーズは高いが,鉄道利用のニーズは高くない。西新宿の超高層ビル街の,新宿住友ビル(三角ビル)と三井ビルとの間の地下にある駐輪場。外から見えず適切な進入路がないため利用は少なく,“移送”された「“放置”自転車」の保管場所となっている。

エスカレートする自転車敵対政策

2003(平成15)年度に入り,新宿区当局では,自転車“対策”を担当する環境土木部 道とみどりの課かかるホームページキャッシュしたもの)を制作するなど,自転車および利用者への敵対的姿勢をよりいっそうあらわにした。そこには,「新宿区では、区の特性を十分に踏まえ、駅周辺ヘの自転車利用の自粛を前提とし た自転車対策の推進を目指しています」,「新宿区は、放置自転車等問題の解消のため自転車等の適正利用(自転車駐車場の利用、駅周辺の自転車等の乗入抑制、利用自粛等)の啓発を目的とし、放置自転車等の撤去に努めています」なる文言が見られる。その口実たるや,自転車および利用者の立場のみならず,住民の移動実態,交通ニーズなどをことごとく無視した,デタラメ極まりないものであることは明らかだ(くわしくは「新宿区当局による自転車敵対政策強行を弾劾する」を参照)。


“撤去”した「“放置”自転車」の“移送”後の保管場所 (2004.4.1, 2003.9.18)

新宿区当局は高田馬場駅近辺での「“放置”自転車」の“撤去”にとりわけ執念を燃やしている。新宿区役所にも近い,廃校となった区立四谷第五小学校跡は,その中庭と体育館が“移送”された「“放置”自転車」の保管場所となっている(「放置」・「移送」などのコトバの不当性については「日本の都市における自転車利用の現状」を参照)。



内藤町自転車保管場所 (2004.12.4)

この自転車保管場所は,新宿御苑の西隣,都立新宿高校の東隣,新宿区の南端部にある。ここに“移送”された「“放置”自転車」は,新宿区の北端部である高田馬場駅附近で“撤去”されたものだ。わざわざ“移送”距離を伸ばすことでコストを嵩ませ,利権を膨らませているのだ。

そうした口実の一つに,区内における公共交通網の整備水準の高さをあげている。しかしながら,整備された公共交通機関なるものは,新宿・高田馬場といったターミナル駅に偏在している。新たに開通した都営地下鉄大江戸線が,乗降の不便さ,目的地に通じていない路線,運賃の高さなどのため利用率は当初予想の4割ほどという低さにとどまり,この開通に伴うバス路線の廃止・縮小などと相まって,交通機関へのアクセシビリティーおよび利便性は著しく低下し,区内交通事情は逆に悪化した。かかる情況において,自転車利用の効果的促進は不可欠であるといわねばならない。


都営地下鉄大江戸線若松河田駅附近 (2003.9.19)

牛込地区は同線の開通により鉄道利用の便が開かれたことになっているが,それは移動ニーズにそぐわないものであった。同線と重複するバス路線は整理の対象となるが,近くにある東京女子医大病院への通院者を配慮して,このバス路線は廃止を免れた。

新宿区当局は,人民とりわけ自転車および利用者に敵対し,これを圧殺することで,自ら生み出し拡大させてきたところの矛盾からの出路を見いだそうとしている。こうした自転車敵対のエスカレートぶりが顕著に現れているのが高田馬場近辺だ。新宿区当局は2003年度に入り高田馬場駅近辺に「新宿区自転車整理指導員」なる者を配置し,自転車利用者に言いがかりをつけ,ときには恫喝すらする有様だ。

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高田馬場駅前のガード下(左), 同駅附近に配置された「新宿区自転車整理指導員」(右) (2003.9.19, 6.27)

JR・西武高田馬場のガード下には,鉄腕アトムの絵が掲げられるようになった。これは落書き防止対策や街の美観および活性化のためとしているが,その実は,同じく並べられたプランターと相まって,ホームレス放逐が目的であった。そして続くターゲットが「“放置”自転車」であったことも,これまた新宿区内の他の例同様であった。

新宿駅近辺(東口・西口とも)において,ホームレス放逐に手を染め,その過程で自転車放逐をも強行してきたところの新宿区当局は,次なるターゲットとして高田馬場を選んだ。高田馬場は,JR山手線・西武新宿線・営団地下鉄東西線が交わる新宿区内第2の乗降客数がある。また,早稲田大学をはじめとした大学・専門学校・予備校などが多く集まる街だ。住民・通行人らの文化・知識水準も高いこの街が,今かかる愚策が猖獗する場となっている。




高田馬場駅前 (2003.6.27, 8.19, 9.19)

(上)高田馬場駅近辺での駐輪放逐が進んだため,駅から離れた神田川左岸にも駐輪。(中段)路上を活用した駐輪スペース(区当局は「整理区画」と呼んでいる)。安価に設置できる点はいいが,こうしたものの利用も有料。(下左)従来からある駐輪場。景観から自転車を排除する機能を持っている。(下右)最近つくられた駐輪場。こうした区営駐輪場の運営は民間委託だが,自転車利用者からの大衆収奪で成り立つ,区当局と取り巻き業者からなる利権集団が構成されている。

こうした自転車“対策”は,区当局の無知と愚劣さだけから生まれるのではない。それが濡れ手に粟の利権を生み出し続けるからだ。行政当局−地方自治体は,その対策を利権創出の機会として利用し,行政当局とその取り巻きからなる利権集団を形成してきた。かかるものの形成に際して,自転車“対策”に熱心な自治体からなる「全国自転車問題自治体連絡協議会」(自称「全自連」,以下「協議会」と略す)の犯罪的役割があることは,たびたび指摘した通りである。同「協議会」については,同じ東京23区の練馬区が永らく牛耳ってきたことは周知のことだが,その草創期において新宿区も少なからざる役割を担ってきた(「「全国自転車問題自治体連絡協議会」を解体せよ」・「日本地方自治体の自転車“対策”と「全国自転車問題自治体連絡協議会」」参照)。

書店をじっとのぞき込む「新宿区自転車整理指導員」 (2004.4.1),名札を隠す「自転車整理指導員」 (右,2006.8.24)

地下鉄東西線早稲田駅近くに配置された「新宿区自転車整理指導員」の中には,出口近くにある書店の内部をのぞける位置に立ち続ける者がいる。これは「自転車整理」を離れた,営業妨害やプライバシーの侵害であるのみならず,思想調査の域に達している。こうした思想調査行為は高田馬場駅附近でも見られる。
2005(平成17)年度から,新宿区当局は「自転車整理指導員」に,着用するベストの色を,“放置”自転車の“撤去”作業に従事する者と同様のオレンジ色に変えさせるとともに,名札の着用を義務づけたが,これに従わない者が多い。これは四谷駅近くで撮影したもの。

新宿区では,区営駐輪場の管理は民間委託の形をとっており,年度毎の入札で受託業者が決まるとされるが,その一方で落札できなかった業者にも別の関連業務を割り振るなど,利権集団ができあがっている。彼らがむさぼる利権の源は,税金と自転車利用者からの大衆収奪によりまかなわれている。

(2003.9.26)

排除と大衆収奪の新たな形態

四谷3丁目 (2006.8.24)

四谷3丁目は外苑東通りと新宿通り(国道20号線)の交差点にあたる,地域内外の交通の要衝である。都営バスの路線もあり,地下鉄丸ノ内線の駅もあるが,それ以上に自転車・徒歩での地域内交通需要が高い場所だ。新宿区当局は,この地域の自転車“対策”を,上からの組織化の口実として利用している。

利用者とニーズを無視し抹殺をはかる,新宿区当局による自転車敵視政策は新たな展開を見せ,兇暴化の一方で巧妙化している。

テキ屋まがいのカツ上げ;「自転車等整理区画」

新宿区当局は,路上(一部では道路脇)のスペースを駐輪場所として「自転車等整理区画」(以下「整理区画」)と称している。これが有料の“施設”であることに驚かされるのではないだろうか。しかもこれは年間契約でしか利用受付されず,その周辺が「放置」禁止区域に指定されていることも相まって,一時もしくは短期間の定期利用の場合は,従来通りの有料駐輪場(「自転車[等]駐車場」,1回100円〜)の利用を強要されるのだ。これではもはやテキ屋以下のカツ上げでしかない。

そもそも自転車が走行する道路から離れたところに,都市景観から自転車を隠蔽・放逐すべく,わざわざコストを嵩ませて駐輪場を造り,利用者をはじめとする市民にそのツケを回して,自らの利権としてきたことが,これまでの自転車対策を続けてきたゆえんなのだ。その点からすれば,道路上に駐輪スペースを造るという,全くもって当然のことをするのに,これだけの時間がかかったことに,その異常性を見いだせるとともに,ごく一部ながら,やっと少し正気に近づいたといってもいいだろうか。

もっとも,新宿区当局による自転車対策は猖獗を極めており,この「整理区画」は,その中でもマヌーバー的存在,もしくはガス抜きならぬガス抜きと位置づけられているといわねばならない。もしこれを評価するとすれば,反“放置”自転車キャンペーンでよく使われるところの,“放置”自転車が都市景観上目障りだとのたまう口実の一端を,自ら崩したところにあるのだろうか。

すでに示したとおり新宿区では「整理区画」以外にも,これと同様に,ペンキで区画を示した無料で利用できる「自転車置場」も存在する。だがこれは,その指定場所からして,露天商やホームレスを放逐するために,自転車を利用したものであることが解る。

四谷駅附近 (2006.8.24)

四谷駅はJR中央・総武線,地下鉄丸ノ内線・南北線を,四谷見附前の外堀の堀割とその地下に配している。新宿通りと外堀通りがその西側で交差する。その交差点附近の外堀通りには,新宿区当局が新たにエスカレートさせた自転車“対策”の一環として設定した「整理区画」と称する路上有料駐輪場がみられる。港区との区境にも近いだけでなく,千代田区との区境にもあたり,この地に配置されている「自転車整理指導員」は,区境を超えて徘徊し,自転車利用者に敵対的な言動を取っている。地方自治体−行政当局の権限を越境させて肥大化させる点で問題だ。ここは,新宿・千代田・港各区当局の自転車利用者のみならず,広範な市民にたいする侮蔑的・敵対的政策,監視強化のあり方の特徴や差異をみるのにいい場所となっている。

排除の新たなかたち;「オープンカフェ」

近頃「社会実験」と称して,あるいは何がしらのイヴェントの一環として「オープンカフェ」を目にする機会が増えた。これらは,道路に面した部分の窓や扉を取り払って,外気に触れながら休憩・飲食できるようにした喫茶店の類ではなく,公道上を利用したものだ。新宿東口でもかかるものが行われている。



新宿東口の「オープンカフェ」とそれにより休む場所を奪われた人々 (上,2005.11.4),
上述の新宿東口の駐輪スペースを奪う形で,再び強行された「オープンカフェ」(中,2006.8.28),
これを口実にカフェ営業時間外も通行止にする旨の表示と,靖国通りに排除された自転車(下,2006.8.28)

新宿東口で,靖国通りと新宿通りを結ぶ南北に走る道路のひとつが「オープンカフェ」となっている。駅に近く,地下鉄の駅や地下通路への入り口にも通じ,従来から街路樹とともに,道行く人の休息に用いられる石製の椅子形の構造物が設置されている場所だ。従来,自転車駐輪,ホームレスの人々の生活に重要な場所であったが,これらを排除することに「オープンカフェ」の意図があることを,新宿区当局は露骨に語っている。

この「オープンカフェ」なるものは,新宿区当局が,「きれいで安全な街」をアピールするためと称して「社会実験」として,2005年9月23日から断続的に行っているもので,道路中心部を含めたほとんどの部分から車輌を締め出し,パラソルや椅子・テーブルを配して,コーヒーなどを注文して飲食できるようにされている。その中は,飲食物を注文することなしに利用できない。飲食物を注文しない人は,これまたカラーコーンとバーで囲まれた中の石に座って休憩するしかなくなっている。金を使わない者を排除するようになっていることは一目瞭然だ。

排除の対象はこうした人たちだけではない。この場所は事実上駐輪スペースとして活用されてきたのだが,これも排除されている。新宿区当局者がマスコミに自己暴露したように,この「オープンカフェ」「社会実験」が自転車を排除する意図をもってなされたものであることも,はっきりと看取できる。

新宿区当局が敵対・排除を追求している最大の対象は,何といってもホームレスだ。またホームレス排除と自転車排除の密接な結びつきは,新宿区当局の政策の特徴をなすものだ。

(2006.10.31)

文化の香り高い多文化共生の街へ

利用者がその目的のために利用する自転車を,一方的に「“放置”自転車」とみなし,“対策”の対象に位置づけるようなことは,日本の行政当局−地方自治体の一部以外では決してみることのできない,世界に類を見ない愚行である。こうした自転車敵視政策のもう一つの犯罪性は,地域コミュニティーを構成する主体的市民の特定の部分を,盲目的に対策の対象と位置づけ,敵視・排除することである。これにより地域コミュニティーとその構成員のメンタリティーから,多様性・寛容性などを奪いさり,偏狭なものへと作り替えてしまう危険性がある。

こうしたファッショ的政策を粉砕し,多文化共生の大道につくことが,これまで多くの先達により,この地において担われ創造されてきた,多くの文化的・芸術的営為を,今日的課題のもとにさらなるものへと高めてゆく第一歩である。

(2003.9.26)

参考

新宿区当局による自転車敵対政策強行を弾劾する
新宿区では,2003(平成15)年度,自転車“対策”を担当する環境土木部 道とみどりの課がかかるホームページ(意見・問合せ先キャッシュしたもの)を制作し,自転車および利用者への敵対的姿勢をあらわにした。その実態と犯罪性については,こちらを参照されたい。)
「全国自転車問題自治体連絡協議会」を解体せよ」・
日本地方自治体の自転車“対策”と「全国自転車問題自治体連絡協議会」
世界に類例を見ない愚劣な日本の自転車“対策”の元兇「全国自転車問題自治体連絡協議会」の犯罪性・欺瞞性についてはこちらを参照されたい。