豊島区がしやがること

日本の都市における自転車利用を巡る情況は,まさに否定的で言わなしゃあない。こら単に欧米先進国との比較においてやのうて,うちら都市住民の意識と,住民と環境にとちうのん優しさのメルクマールとしての意味も持っとるちゅうわけや。東京23区の中で,また全国の中でもやけど,住民に優しない方から数えた方が早いもんの一例を,ここに紹介するちゅうわけや。

「“放置”自転車日本一」はこないしてつくられよった

概念と定義

さる統計によれば,池袋駅東口「周辺」が「“放置”自転車日本一」となりよったとぬかしよる。やけどここには不審な点がなんぼかあるんや。第1は,駅の「周辺」が指す範囲の問題なんや。第2は,「“放置”自転車」の意味するトコロや。なんぼなんでも「放置」ちゅう言葉の辞書的意味通りに存在する自転車が殆どあらへんことはいうまでもおまへん。駐輪を禁止する条例の適用範囲を行政的手続で指定した範囲が,第1の問題点の一応の答えちゅうことになりまひょ。また,その範囲内にあって,区が設置した駐輪場を利用せん,すなわち行政のやつら,区の意に沿わへんもんを指しちゅうもんやいうのが,第2の問題点に対する答えになるわけや。すなわち「“放置”自転車」とは,行政のやつが恣意的に設定できる政治的概念なんや。このことをまずしっかりと頭(どたま)にたたっこんどきまひょ。

「“放置”自転車」ちう概念の内実を分析するっちゅうことをせんと,ただそれを所与の前提として議論するっちゅうことが,生産的やないばっかりか,自らを陥穽へと導く危険すらあることを,指摘しておきたいちゅうわけや。もっともうちらの周りで日常的に目や耳にしてんもんの中にも,時にはこないな風に自覚的に,その内実について分析のメスをぶちこまなあかんような事柄は少なないはずや。中には,そうせな知らず知らずのうちにとんでもないところに流されていてまう事柄もありまひょ。これを教訓にして,うちらの周囲を再検討して,健全な批判精神と主体性を回復する機会としようやんけ。(「放置」・「撤去」などの能書きの不当性については「日本の街ん中で自転車がどないされとるんか」を参照)。

なくならへん&なくしとうないカモ

「“放置”自転車対策」が,利権創出の機会と結合してなあかんちゅうのが,行政の対応の根底にあるんや。どない名案かてそれが伴わんかったら,実現されることはあらへん。特にバブル経済崩壊後の長期不況下にあって,なんちうか,ようみなはんいわはるとこのハコモノや道路建設が難儀な中,「“放置”自転車対策」が,土木的利権創出のまたとあらへん口実となるちゅうわけや。また造るときにゼニかけとけば,その後の維持・管理費用もそれだけ余計にかかってくるちゅうわけや。そのツケは自転車利用者をはじめとする区民に回ってくるちゅうわけや。しかも「“放置”自転車」がある限りそれを果てしなく膨張させることが出来よると目論んどる。対策対象数が「日本一」やったら,費用がそないなることやらなんやらお構いなしや。財政非常事態宣言を出して,職員の首切りまで始めよった豊島区やけど,決して懲りてはおらん。


池袋駅東口前に駐輪されとる自転車(パルコ前付近.2000.9.9)

土曜日の午後で,買い物客の自転車増える時間帯に撮影。こないな風に十分な広さがあるトコロでは,駐輪スペースとして指定したり,簡単な屋根をつけて駐輪場とする自治体が多いちゅうわけや。これが最も簡単で安価で,かつ自転車利用者にとっても有益なやり方やけど,豊島区ではそうするっちゅうことはあらへん。他の23区の中にはそないなもんを造っとるトコもあるけど,予め利用登録せなあかんもんもあるんや。全国的には大都市部を含めて,タダ・登録なしで利用出来よるのが普通や。これを条例上合法化してまえば,カモとしての「“放置”自転車」が存在しなくなってまう。かくして「“放置”自転車」が創出されることになるちゅうわけや。

マスコミによる報道姿勢(1)

日本のマスコミは,概して自転車に関する意識や関心は高(たこ)ない。移動・交通手段としての位置づけや,環境問題との関連でとらえることに積極的なトコは皆無に等しいのが現状や。その結果,行政側のたれ流しよる情報を,活字や電波に乗せるだけになってまう。日本のマスコミがお上の流す情報をたれ流すんは,なあんもこれに限ったことやのうて,全般的な根深い問題なんや。

欧米先進国ではこないな風な低劣な姿勢で自転車を取り扱った報道はあらへんで。もしあっても市民からソッポを向かれるだけのことや。Web上で世界の報道に簡単にアクセス出来よるようになりよった今,そのことはうちらの眼にも一層明らかになっとる。うちらいつまでもアホなままやあらへんで!


駐輪場完成を口実に駐輪規制強化したろとおもう区の政策を報じる地元紙『豊島新聞』(左;2000.1.18)。

同紙掲載の写真とほぼ同じ場所を撮影。(右;池袋駅東口・西武百貨店前歩道上.2000.9.9)

「ワースト」ちゅう明らかに否定的価値判断を含んどる語句を使(つこ)とることに無自覚になっとる。続く「返上」ちゅうのも同様やけど,何に「返上」するゆうんやろうか? またこの付近の歩道はパルコ前やらなんやらに比べて幅が狭(せま)なっとるけど,歩行者の通行に支障が出ることはあらへん。ただ車道側への傾斜が大きいさかい,自転車が置いたある側に引き寄せられはる感じがするかも知れへん。新聞の写真では,さも自転車が歩道一面にあふれとるようにも見えるが,決してそないなことはあらへん。右の写真と比べてみれば一目瞭然やろう。違いは,自転車に対する姿勢の違いだけや。こないなんは偏向報道ちゅわへんのやろうか?


池袋駅東口(2001.7.9)

梅雨の長雨のせいで,自転車利用者が一時的に少ななる時期をねらってけつかって,豊島区は自転車敵視政策を強化しやがった。「“放置”自転車」やてぬかして持ち去りよった自転車を還えすのにぼったくる費用を3000円に値上げしよって,自転車利用者からの収奪を強化しやがった。ほんでから,障害物を,ワテらからむしり取りよった税金をつぎ込んで設置しよった。障害物の分,舗道が狭(せま)なっただけやのうて,自転車への敵視感情を植え付けたろうちう魂胆見え見えや。ここん所(とこ)を駐輪スペースとして整備したら,歩行者・自転車双方に,ごっつうタメになることは言うまでもおまへん。


グリーン大通り(2002.2.7)

池袋駅東口から護国寺方面にのびる道路は日の出通りと呼ばれてきたが,このうち東池袋付近までをグリーン大通りと呼ぶようになりよった。2001年10月,豊島区わいは,この歩道上を年間契約制有料駐輪スペースとし,駐輪非合法化範囲を拡大するゆう暴挙に出よったんや。ほんで数十メートル間隔で管理員を配置しよって,通行人ににらみをきかせとる。もっともこのスペースが利用されとるんは池袋駅に近いトコだけで,北側のほとんどと南側の東池袋に近いトコロでは利用者がおらん。利用情況をシカトした結果や。この中でもっとも池袋駅に近い部分では,登録者以外の自転車利用者をスペースから締め出すのが,彼等管理員の主たる任務となるちうわけや。そやから,車道沿い以外の,従来は駐輪されることのへんかったトコに自転車を置かなあかんようになった利用者がようけになりよった。

いたる所にみられよる豊島区の自転車イジメ政策

いうまでもなく,建造物にはそれを設計・運営する側の意識が投影されとる。ほんで豊島区の公共施設やらなんやらに,自転車に対する区のやつらのどないな意識が反映されとるかを,みていくことにするちゅうわけや。以下に示すもんは,相対的にえげつない部類に属するもんの,決して特異な突出したもんではおまへんことも,付け加えておく。

そもそも自転車担当部署は自治体によって違(ちご)とって,従来豊島区では,土木部交通対策課やったが,2000年4月の組織変更時に名称変更して交通安全課ってぬかしよるようになりよったわけや。名称は変わっても,自転車イジメの姿勢は一層強化されとる。その実いうたら,中世ヨーロッパの魔女狩りや,ナチスのユダヤ人絶滅政策,さらには旧ユーゴスラヴィアでの“民族浄化”やらなんやらと共通するもんがあるというても,決して言い過ぎとちゃうんや。

いきなりこないな風にいわれても,余りにも飛躍があるように思われるかも知れへん。もっともこれを飛躍ととらえんのも的外れなんや。ちゅうんは,このことが区のやつらの姿勢に見られよるちゅうだけでなく,うちら市民の中に少なからず存在してんやろう,「“放置”自転車」に対する悪感情の根底にも見られよるもんやからなんや。なんで「“放置”自転車」を不快に思(おも)てまうんかを,率直に,しかも突き詰めて考えて戴きたいちゅうわけや。

一言でいうんやったらそら,自らとは異質な他者として認識するさかいや。共感やアイデンティファイの対象として認識されるんとはちゃう。となったら,排除・抹殺の対象とするか,せやなかったら自らに同化させるべく相手に一方的変身を求めることになるちゅうわけや。権力や暴力も動員してそれを現実化させようとするやろ,ほしたら,行政,さらには警察の出番が現れ,「市民」と権力との共犯関係が出来あがるんや。

それが突き進んでいけば……,賢明な読者の皆はんにはもうこれ以上の説明は要(い)らんやろう。後からも言うけど,豊島区をはじめとする現下の自転車政策は当然にも批判され,変革されなあかんもんやけど,それを一方で容認・支持してきた「市民」の側もまた,自転車のことだけやのうて,多様性を持った都市住民や自然環境との共生ちゅう観点から,変革を求められとるんやちゅわなあかんのや。行政への批判はその手段なんや。




JR東日本目白駅付近(2000.9.9, 2001.2.20 & 2002.2.12)

この5年ほどの間,駅舎建て替えやら,駅前を通る目白通りの陸橋の架け替えやらのため,景観は変化しつつあるけど,自転車を巡る情況は,まさに悪化の一途をたどっとる。左は,駅東側に以前からあった駐輪場。工事事務所がその上に作られ,交番隣も接しとったが,駅前と目白通りから,自転車を隠蔽する形になっとる。ほんで当然にも人目にも触れにくうなりよる。ここには区から派遣されよった管理員が自転車の整理をしよるけど,彼らはそれをええことに自転車を乱雑に扱うて,しまいには破損などの犯罪的行為に及びやがるなど,区内でも突出して最悪の駐輪場やった。2000年冬に駅舎建て替えが済んで,駅前にスペースがでけて,駐輪するようになりよった。区当局は,お役所特有の年度末の残り予算消化のため,駐輪にイチビリを加える形でプランターやらなんやらを設置しよった。せやけどこんだけやのうて,区当局は,有料駐輪場の設置と駅周辺の駐輪非合法化を強行したろうと企んどるんや。下もそれにともなって廃止されてまう。




JR大塚駅付近(2001.3.2)

94・5年頃は,駅前駐輪に対する弾圧がエゲツなかったが,このところはましになってきとるようや。そんでもそれ以前の情況にまでは回復してまへん。南口にはまだ駐輪スペースの余裕がおます(上段右)。北口では駅近くでのビル建設のせいで,駐輪場が減っとる(上段左)。以前は線路際の空き地が駐輪場になっとったが,なぜか今はフェンスで囲って使かわさんようにしとる。ついでに言うとくと,この先には急な登り坂があって,そのてっぺんに小さな駐輪場がありよる(下)。




駒込駅付近(2002.2.7)

駒込駅は営団地下鉄南北線とJR西口が豊島区で(左上),東口が北区(右上)や。豊島区側ではわざわざもっとも建設費と維持費(ぬかすまでもなくこら利用者に転嫁される!)がかかり,収容台数が少ななる地下駐輪場を建設し,その上の地上部を活用せんまんまにしてん。そやから,六義園ねきの文京区の路上への駐輪も(下)。これに対して北区では,線路際のスペースを有効利用して,無駄な費用をかけへんし,利用しやすい形態になっとる。「東京都北区がやっとること」参照。

都市景観からの自転車の抹殺

人の生活が感じられへん街を「美しい」思う感性はあんまりいただけへんもんや。やけど行政にはそれがええ思(おも)とるアホがようけおるわけや。こいつらはあたかも図面や模型を作るような感覚で,人が暮らす街をデザインし,権力を以てその通り現実化したろと思とるんや。生身の人間がほんで生活するゆう,ごく当然のことが,こいつらの脳ミソには欠落してんことが多いちゅうわけや。そないにして何の躊躇もなく,そこにうちらの血税が投じられてゆくんや。

一般に,「“放置”自転車対策」というても,その方法は無数にあり,特定の具体的情況下においても,幾通りもん選択肢が存在しうるちゅうわけや。そこから現下のあり方を選択したトコの,区の姿勢について分析しょう。性懲りもなくわざわざ金の掛かるようなことをやりたがる,とか,初めに工事ありきの姿勢の存在については先にふれたちゅうわけや。土木部がやるんやから致し方んという結論を導き出して終わるようでは,分析や検討をしたうちには入りまへん。

2000年4月,池袋東口地下駐輪場が完成しよったことを口実に,同地域の「“放置”自転車対策」が強化されたが,同様のことは数年前に同じ池袋駅の西口で強行されたちゅうわけや。駅から徒歩5分では行けへん公園の地下を駐輪場にしたさかいに,駅から遠く,場所も地下故に解りにくく,しかも有料となったら利用率が上がらへんのは当然やけど,駅前路上の駐輪を条例上非合法化するっちゅうことで,駐輪場を存続せしめとるちゅう先例があんねん。東口の場合は,それより駅には近いけど,敢えて目立たなく作っとるトコと有料あトコは変わりまへん。しかももっとも金んかかる,地下化ちゅう方法を選択しやがった点でも共通してん。しかも後者の場合,元あったタダの駐輪場をツブして,それより収容台数が大幅に少ななるもんを造り,その地上部を駐輪禁止区域にしてしもた。利用者からしたら,いっそ初めからなあんもせん方が良かったというてまえばそれまでやけど,区のやつらにとっては,これほどのコストをかけて現実化したことがひとつだけあんねん。

そら,都市の景観から自転車を抹殺するっちゅうことなんや。豊島区における「“放置”自転車対策」の目標はそこにあんねん。地下化とはいかいなくとも,豊島区の公共施設の駐輪スペースは,大概そないな風に設定・運営されとることが解るちうわけや。ニーズにあわせた駐輪場所の設定を行うゆう発想や,しかも限られよった予算を有効に使うゆう観点からは,決して出てけぇへんようなことが行われとる。彼らの感性からして,都市景観における“美観”を損ねると認識されるトコの自転車を,いかにして視界から排除し,目障りでなくするかが問題なんや。

こないな例は,区内各所に見ることが出来よる。


池袋東口地下駐輪場の上。右の写真は入り口スロープ(2000.9.9)

JRの線路に面した細長い土地。元々この場所には公園があって,タダの駐輪場として利用されとった。豊島区はこの地下を掘り下げて駐輪場にしたちゅうわけや。しかもその地上部分は駐輪禁止区域にされてしもた。当然収容台数は少なくなりかつ有料となりよった。この地下駐輪場の完成を口実にして,池袋東口の「“放置”自転車対策」が強化されたちゅうわけや。この地下駐輪場の存在意義があるとするやろ,ほしたら,都市景観から自転車を抹殺する効果に求めなあかんやろう(内部の撮影は拒否されてもうた)。


池袋西口地下駐輪場の上 (2001.2.20),池袋西口近く(2002.2.12)

同駅東口地下駐輪場の先例となりよったのがこれ。池袋駅西口から徒歩数分もかかりよる,公園の地下を有料駐輪場にしよった。駅前から離れてるさかいに利用が不便で,利用者が少ないことをマスコミに取り上げれれたことがある。せやけど,その問題の本質はそれやのうて,区当局による土木利権の追求,大衆収奪及び都市景観からの自転車の抹殺ちゅう,自転車敵視政策にあるんやで。なんぼ愚策を強行したかて,自転車利用のニーズちう現状をシカトすることはでけへん。


約20年前の池袋附近

現在東京芸術劇場があるあたりは,学校やグラウンドに利用されてきたさかい,まとまった面積の土地があったんや。再開発の過程で自転車が放逐され,かわってわざわざコストが嵩む施設をつくちう,そのツケを区民に回してきたことが判るちうわけや。グラウンド脇に駐輪されとるだけでも,現在の池袋駅西口の駐輪場の収容台数を超えるんは明らか。 『写真で見る豊島区50年の歩み』(1982年10月)より。


巣鴨駅北側(2002.2.7)

池袋駅東口に1年遅れて,巣鴨駅周辺での駐輪が非合法化されよったちうわけや。JR・都営地下鉄両者から離れた判りにくいトコに,必要以上にぎょうさんゼニつぎ込んで駐輪場が建設されよって,そのツケは利用者に回ってくるちうわけや。


東長崎(左)・椎名町(右)駅前の駐輪場 (2002.2.12)

いずれも西武鉄道が運営する駐輪場。料金も公営駐輪場より高なっとる。鉄道事業者が駐輪場を運営しよると自転車利用者の負担が増えてまうちうわけや。


西武池袋線椎名町駅附近 (2002.2.12)

駅北口の東側(池袋寄り)には駐輪場はあらへんけど,駐輪需要はおます。駅南側では公園が駐輪スペースになっとる。


有楽町線千川駅付近 (2002.2.12)

有楽町線が通る上の道路には広い舗道があって,駐輪スペースとしてつくられたもんがあるんや。豊島区当局はわざとこれを使わせんと,そのねきに有料の駐輪場をつくりやがった。


有楽町線要町駅付近 (2002.2.12)

既成の歩道上の駐輪スペースから自転車を放逐しよるるのは,千川付近と同しや。要町駅ねきの駐輪場は,少し離れたビルの地下。通りに面してへん細い路地沿いに入口があって,中の様子はもちろん見えへん。こないな構造の駐輪場では,管理員の自転車の扱いや態度が劣悪なことふぁ多いちうのが,豊島区の特徴。それより夜間女性の利用は危ないでんな。


雑司ヶ谷隧道[We Road](左・池袋)と角筈ガード(右・新宿) (2003.3.17)

雑司ヶ谷隧道は,池袋駅北側にあって,JRと東武東上線の下を通て東西を結んどる自由通路や。豊島区わいはこの路面と壁面をタイル張りにしよって「We Road」なる愛称をつけよったんや。このころから自転車での利用に不当な規制を加えるようになりよった。きょうびでは,「危険」やとかぬかして自転車を押して通るようにスピーカーでがなり立てたり,民間ガードマンを配置して強権的に従わせようと躍起になっとる。こら豊島区わいの愚策の責任転嫁にすぎへん。路面は昔のアスファルト舗装の方が滑りにくかったんやし,壁面のタイルと天井の塗装は蛍光灯の分光特性からして,タダでさえちびっとの照明の効果を,視覚上さらに落とすもんなんや。このことは,ほぼ同じ断面積である新宿駅北側の角筈ガードと比較してみると一目瞭然や。長さあたりにして,コッチの蛍光灯は雑司ヶ谷隧道の3倍あるんや。路面や壁面にはよけいなコストをかけへんと,肝心なトコに集中的に投資したゆうべきか。最小限のコストで利便性と安全が図られとることが解るちうわけや。

こんなんが文化施設かいな?

「仏作って魂入れず」ちゅう諺があるんは皆はん知ってはるわな。豊島区の場合,バブル崩壊後に豪華庁舎建設を目論んで頓挫したこともあって,目下無駄な費用を費やした施設建設は少なく,かというて不足・不自由もちびっとやさかい,量的には公共施設のハード面では健全といえるちゅうわけや。そやかて,その設計や運営については,区のやつらの先に述べたような姿勢が貫徹してん。図書館やらなんやらの文化施設においては,その品格と価値を激減させるもんや。教育施設においては,子どもらに自転車を粗末に扱こうてイジメるっちゅうことを教(おせ)とるに等しおます。


豊島区立中央図書館(2000.9.9)

豊島区立図書館の中心となり他館を統括する存在でやけど,自転車に対する態度はえげつないもんがあったちゅうわけや。春日通りに面してん同館では,そこから入り口に至る階段の側に駐輪スペースが指定されとったが,通りから館内からも見渡せへん入口に至る階段下にも駐輪スペースがあるんや。後者は便利わるいばっかりか治安上の問題からも利用が進まへんかったため,何とか利用させようとしとった。一方で清掃時に自転車に向かってゴミや残雪をかけたり,放水したりするゆうように,自転車をゴミ以下としか見ておらへんような愚行をはたらく職員もいたちうわけや。こないな彼らは,ついにある年度末,前者をつぶしてプランターを並べ,駐輪スペースとして利用できなくしたちゅうわけや。きょうびは,治安上のクレームがあったんか,後者に管理員が常駐するようになりよった。こないな風に施設・人員両方にわざわざ出費を嵩ませとる。その分でどんだけの図書(ほん)買(こ)うて,どんだけの図書館サービスが良うなったんかを,想起したかてもらいたいもんや。


豊島区立千登世橋教育文化センター(2000.12.9-12)

バブル期に完成しよった複合文化施設。建物の運営・管理は区の外郭団体が行い,警備は民間委託のため,ハード&ソフトともにバブリー。明治通りに面して正面入口があり,その脇に通りの人目から隠すような形で駐輪場があるんや。収容台数と治安上の理由から積極的に利用したろとおもう人はまれで,自ずと明治通りの歩道上に駐輪するっちゅうわけや。何時間かにいっぺんの割合で巡回してくる警備員の中には,恫喝めいた口調で駐輪場利用を強要したり,無断で自転車を駐輪場内に持ち去ったりする者もいたちゅうわけや。その入り口付近には消火栓があるが,その前にも駐輪を容認・強要するやらなんやら,その行き過ぎは最早本来の役目である保安・防災と矛盾すらしとるっちゅうザマや。


豊島区立上池袋図書館(2000.9.9)

豊島区立図書館としては最も新しゅうて,しかも公園内の一角にあるんや。自転車が図書館に至る通路のど真ん中に集められとる。こないな風な不自然な姿になりよったんは,公園に隣接する住民から文句が出たからやいう。そのため開館・開園当初から,民家に接する側には,植え込みの前にさらにチェーンが張られとる。公園で不審な行動をとろうとする者がわざわざ民家に近いトコロでするとは考えられへんが,それ以上に区による自転車イジメ政策が住民の意識に反映された結果といった方が適切やろ。


文京区立目白台図書館(2000.9.9),豊島区立ことぶきの家(2002.2.7)

文京区は豊島区の東隣。参考までに紹介しとこう。同区施設の駐輪場は,沿道に面し,かつ施設内からも見渡せるトコにあることが多いちゅうわけや。駐輪してから入館までの流れがスムーズなだけやのうて,人目があるさかい管理員を置かんでも自転車が犯罪に遭う可能性は低いちゅうわけや。ほんでいて設置費用も極めて安価で,維持管理費用も殆ど掛からへん。一見特別なことはなあんもしておらへんように思われるが,実はそのことが最大の効果をもたらすゆうすぐれもんなんや。右は豊島区の施設でこれと同じ形態の駐輪施設があるちう珍しもん。場所的には文京区との境に接してん。「文京区がやっとること」参照。

民間への圧迫

豊島区のやつらは,自らの面子や土木的利権追求以外の面でも,自転車イジメ政策を進めとる。区内大規模小売店舗に「駐輪場設置を指導する」なる名目でコスト負担を強要してんことの実体は,都市景観からの自転車の排除に他ならへん。店の前に並んや自転車は千客万来の証なんやし,さらなる客を呼ぶ広告塔なんや。

長期不況下にある小売店では,売上げや利潤の確保だけやのうて,市場のニーズへの対応,顧客の囲い込みやらのマーケッティングがいっそう重要になっとる。ほんで自転車利用者への対応も重要なファクターの一つとなるちうわけや。顧客数・商圏・客単価の増加・拡大のために,自転車及び利用者を有効に活用する営業努力をしてんトコがある一方,顧客や市場ニーズから乖離した自らの営業不振の原因を省みへんと,目に付いた「“放置”自転車」に八つ当たりして,もっとドツボにはまるトコもあるんや。

大小規模の小売店と並んで自転車への対応を求められとるのが鉄道事業者や。2002年に入って豊島区わいは,「“放置”自転車」の利用者が鉄道を利用してんとの口実のもと,鉄道事業者に“撤去”費用を課税するゆう「放置自転車等対策税」の導入を公然と画策し始めたちうわけや。すでに豊島区に限らず私鉄沿線では,鉄道事業者が運営する駐輪場が,公営駐輪場より高額の利用料を要求するっちうことが,都心から離れるにつれて独占価格となる傾向にあるんや。駐輪場を営利事業の対象とするっちうことで,自転車利用者の負担が重なるのや。豊島区わいの課税策動は,これをいっそう助長する危険性があるんや。それだけやのうて事業者に対しては,「“放置”自転車」対策のコスト負担で圧迫し,しかも自らの利害とは異なる区わいのそれに従うことを強要するんや。これらのツケは最終的に自転車利用者をはじめとする人民に転嫁されるんや(「豊島区が「放置自転車等対策税」導入しようとしよったん許さんで」を参照)。


池袋三越(2001.1.9)



東急ハンズ池袋店前・ジュンク堂書店前・ビックパソコン館本店前

東急ハンズでは,どエライ昔から店頭の来店客の自転車を,向かい側のビルの前や側面に無断で移動してきたちゅうわけや。さらに店舗から離れたトコに駐輪場を設けとるが,解りにくいばっかりか,夜間,特に女性には危険な場所なんや。


ライフ椎名町店(左),ピーコック目白店 (右)(2002.2.12)

いずれも店頭に駐輪スペースをとって,自然と来客を呼び込む構造になっとる。ライフでは豊島区シルバー人材センターに整理を委託しとるけど,同センターが担当するなかでは自転車の扱いが丁寧。ちうても他店に肩を並べるほどやあれんけど。「板橋区がやっとること」参照。


メトロポリタンプラザの駐輪場 (2002.9.25)

池袋駅を通る電車内から見える駐輪場がこれや。メトロポリタンプラザは,池袋駅西口の南寄りにおまして,東武百貨店や専門店からなるショッピング街の上にオフィスフロアをあわせもつ。そのさらに南側のびっくりガードに至る線路沿いの場所に駐輪場をもっとる。一時利用100円,月極1000円と,利用料金が公営駐輪場より安い上に,メトロポリタンプラザで1000円以上の買い物をしたら当日の利用はタダになるちうわけや。もっとも東武東上線の入り口には近いが,営団地下鉄丸の内線・西武新宿線には遠い。売上げと客単価の増加及び顧客の囲い込みをねらったもんやろ。豊島区による「放置自転車等対策税」導入策動は,自転車利用者の立場をシカト・抹殺するだけやのうて,こないな商店・鉄道事業者の営業努力をも蹂躙するもんなんや。
豊島区でも一部の駐輪場で短時間の利用をタダにしてんけど,こっちは商店の売上げには寄与してへん。それだけやのうてこれが,利用形態の異なる自転車利用者を分断するゆう,政治的意図によるもんやちうことを見逃してはならへん。

何のためにやりよるんか?--いつか来よった道

「“放置”自転車」の権力者にとっての存在理由は,今言うてきた利権や感性だけに求められよるんとちゃう。国民を上から組織化・統合してゆくための機会として利用されとる。中には「国家総動員体制」つくりか思わせるもんすらあるんや。「“放置”自転車」はそのためのいわば仮想敵として措定されとる。平時より,その意味に無批判なまんま大衆動員を行っていけば,それがどこに行き着くやろか? ほんでその時動員された大衆はその矛先をどこに,何に向けるやろか?

マスコミによる報道姿勢(2)

日本のマスコミが自転車について取り上げる場合,レジャー・スポーツとして取り上げることもありよるけど,移動・交通手段として積極的に取り上げることはまれなんや。従って「“放置”自転車」問題として扱われる割合がようけになるちゅうわけや。その場合,行政の立場に立ちう,そのスポークスマンとなり,さらにはその尖兵となちう,反「“放置”自転車」の一端を担うんや。その中で彼らは「『“放置”自転車』=悪」ちゅう図式を作りあげ,自らをそれと闘う「正義の味方」であるかのごとく錯覚し,市民に自転車に対する悪感情・敵対意識をあおり立てよるちゅう犯罪的役割をも果たしてるんや。

自転車に関しちゅうやったらば,少なからざる日本のマスコミは,権力に対するチェックちう役割を放棄とるちゅわなあかん。そないな風なもんが民主主義社会の公器といえるのやろうか? もっともこないな姿勢によって直接害を被るんは自転車利用者だけにとどまるのやろうか? 権力への屈服と盲従がもたらしたトコの最たるもんを,わてたちは半世紀あんまり前の歴史の中に見いだすことが出来よる。「大本営発表」がそれや。今もっかいいつか来よった道をたどることにならんかったらええが。

日本マスコミの自覚と奮起を促したいちゅうわけや。

区当局がやりよるよる反「“放置”自転車」キャンペーン

反「“放置”自転車」キャンペーンの最大の担い手ちゅうたら地方自治体や。もちろんその程度は千差万別やけど,東京都豊島区は,全国でもメチャ悪質なもんの1つやな。おりにふれて,区広報紙上や大衆動員を通じての,反「“放置”自転車」キャンペーンしてやがる。そないなことやったらよそでもやっとっるけど,ここでは,自転車への敵視意識が突出しとるのはもちろん,その貫徹を図んのに数々の反人民的行為に及んどるんや。

「“放置”自転車」の「撤去」すんのに「クリーン大作戦」てなことぬかしとる。個々の利用者の目的があるさかいに存在しとる自転車を,こないに扱うこと自体不当なんは言うまでもおまへんけど,その排除を,あたかもゴミを掃除すんのと同じようにぬかすのもまた不当やいわなあきまへんな。そんだけやのうて,そないなもんが排除された空間を“美しい”ちゅうような感覚を持つことを強制してやがるのを,見逃したらあきまへん。こらもう権力による個人の内面への不当な干渉やし,思想・信条の自由の侵害でっせ。

「“放置”自転車」の「撤去」だけやのうて,駐輪場で整理すんのは,高齢者の仕事になっとる。日本がファシズム体制を極めよった時期に年少期を過ごして,そないな教育を受けてきよった彼らは,当然にもこないな問題に無自覚なだけやのうて,その尖兵として機能しとる。そやさかいに,とりわけ中国人,韓国・朝鮮人らアジアの外国人に対する敵視・蔑視はごっつうえげつのうて,作業中に彼らの姿を見たら犯罪者よばわりしてみたり,彼らを侮蔑する言動に及ぶちゅう,暴挙・愚挙すら平然とやっとるんや。民族・人種差別の最大の温床がここにあるんや。人口の約1割がアジアの外国人やちゅう豊島区では,こら看過できへん問題や。


反「“放置”自転車」キャンペーン報道の例(『読売新聞』2000.8.23)
この件に関しては,『豊島新聞』(2000.8.29)も同様に報じとる。


区広報紙による反「“放置”自転車」キャンペーンの例(2001.3)

中国人女性に,区当局の意を受けた“作文”を書かせるちゅう手口や。自転車利用者の敵対者やちゅう自覚があらへんこいつの笑顔を見ると,不気味なだけやのうて,背筋が寒うなってくる。

(2000.12.13. 2001.3.16, 7.10, 2002.2.8, 2.14, 10.29 & 2003.3.18追加)


附記

豊島区による課税権の愚民的濫用を斬る!

これについては,「豊島区が「放置自転車等対策税」導入しようとしよったん許さんで」を参照したってや。

国土交通省「まちづくりと自転車を考えるホームページ」を斬る!

豊島区及びそれと隣接する板橋区にわたる自転車道路計画は,国土交通省(旧・建設省)の「まちづくりと自転車を考えるホームページ」で「モデル都市 8 板橋区・豊島区(東京都)」として紹介されている。また区自身が「板橋区・豊島区 自転車利用環境整備基本計画 ―概要版―」でアホぬかしとるにいたっては,もうあいた口がふさがりませんわ。「モデル都市」ちうもっともらしい名前が付いとっても,その実は真に自転車利用者のためやあらへんちうことについては,「TV番組「金曜フォーラム」でちょっとおかしなこと言うてたで」を参照したってや。