フジテレビによる自転車敵視番組を弾劾する
−めざましテレビ「ココ調」批判−

恣意的・詐術的手法による自転車および利用者への敵対を許すな!

なにがしらの意図に基づいて,それにかなった映像をつくりだし,それがあたかも一般的な“事実”であるかのごとく放送することは,テレビの世界では珍しくはないし,むしろそれが普通ですらあるぐらいだといっても過言ではなかろう。お笑いのごとき娯楽のためであれば,時にはそれも許されようが,報道やドキュメンタリーの体をとる番組の中にも,同様の姿勢・方法で制作されたものが少なくない。

ここではそのひとつの番組の犯罪的手口を暴露して弾劾するとともに,その詐術的・恣意的手法が,この種の低俗放送局・俗悪番組に共通して行われているものであることを,改めて明らかにするものである。

視聴者の目をくらませる稚拙な偏向番組
(めざましテレビ「ココ調」2009年5月26日放送)

入梅前の爽快な天気が続く5月下旬の26日,まだ目も醒めやらぬ市民も多いであろう時間帯にフジテレビが,早朝番組・めざましテレビの「ココ調」なるコーナーにおいて,「増える自転車通勤」なるものを放送した。自転車および利用者に敵対する視点からつくられ,かかる論調を醸し出すべく,自転車の「危険」ぶりをでっち上げるべく,さまざまな恣意的・詐術的手法が用いられた。


歩道走行自転車の平均時速は34km/h?
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そうしたなかでも,歩道を走行する自転車の平均速度が時速34kmとしたに及んで,あまりの荒唐無稽ぶりから,多くの厳しい非難が寄せられた。その反作用であろうか,件の放送部分を投稿したYouTubeの動画はいつしか削除されている。しかしながら一方で別の動画投稿サイトでは依然閲覧可能となっているので,本稿とあわせてご覧いただき,その問題について,認識を深めていただければ幸いである。投稿子に謝意を表する。

放送後ホームページに掲載された番組側の言い分は以下の通りだ。釈明などの追加がなされたためでもあろうか,日本語としておかしい箇所も散見される。それも番組制作者の尊大な姿勢と低劣な意識水準を示す一側面といえようが,ここでは,番組放送内容上の問題点について,検討することにする。

コーナー内でお伝えした歩道走行する自転車の速度計測の方法が不適切でした。計測はスピード測定器を使って行いましたが、メーカーによりますと、時速50キロ以下のものが対象の場合、誤差が大きくなるとの事です。

視聴者の皆様に誤解を与えましたことをお詫びして訂正いたします。

今、「節約」「健康志向」と自転車を利用して通勤する人たちが増えています。自転車協会が自転車通勤者600人にアンケートした資料を見ても、『まだ1年未満』という人が4分の1を占めています。

さらに、厚労省では新型インフルエンザ対策として、人が込み合うのを避けるため、自転車通勤も1つの手段だと促しています。

しかし、自転車を始める人が増えているからか、死亡事故件数に占める自転車の割合が20%を超えているのも事実。ココ調では自転車事故の危険と注意点を調べました。

道路交通法では自転車軽車両と扱われるため、原則として「車道」を走らなければなりません。AM7:30〜AM8:30の1時間数えたら、通った自転車は、265台。その内、車道が195台、歩道は70台でした。

歩道を走る自転車に危険を感じた経験があるという歩行者は87%。やはり、歩道では安全走行が求められます。

ほかにも、車道を走る自転車で信号無視、逆走など、とても危険な行為もありました。実験では、歩道から車道への急な飛び出しの危険性を検証しました。自転車の突然な進路変更は、ドライバーも思わずハンドルを切るしかありません。車道に出る場合、正しい行動は一時停止し、安全を確認してから、変更しましょう。

しかし、今の道路交通法や道の整備にも問題があると専門家は指摘します。自転車の事を考えていない道路がまだまだ多いのです。これからは自転車がまだまだ増える兆し。

もちろん自転車のモラル向上する機会も必要ですが、法律の見直しを含めた道路の改善も必要です。

偏向番組の手口

自転車敵視を煽る偏向番組の稚拙な手口をみていこう。

未熟な自転車通勤者が増加して,自転車事故が増加しているとの認識のもと,「自転車事故の危険と注意点を調べ」たとしているが,まさにこれは誤解と偏見のもとに,それに都合のいい映像をつくり出すことを専ら追求した所産であるといわねばならない。

この種の番組の常套手段として,歩行者・自動車による自転車および利用者への敵対感情を煽るようなものも含まれているが,それはそれとして弾劾することにして,内容に立ち入って具体的に採り上げて検討することはやめておこう。かかるものから生産的な議論も進歩も生まれないことは,賢明で理性的な読者の皆さんは先刻ご承知のことであろう。

悪意に満ちた場所選定


映像採取が行われた地点附近 (2009.9.17)

件の映像がつくられたのは,国道246号線(玉川通り)の池尻歩道橋とその附近である。高架で並行する首都高速道路同様,三宿・三軒茶屋からこの地点を都心方面に越えて山手通りをオーバークロスするあたりまで,渋谷及び都心に向かう方向では,直線で下り勾配が続く。この地点近くには,東急田園都市(新玉川)線池尻大橋駅がある。

この撮影現場は,国道246号線の池尻歩道橋とその附近だ。都心から渋谷までは青山通り,渋谷から多摩川を渡る二子玉川までは玉川通り,その先は厚木街道となっているこの国道は,都心から多摩川畔にかけて,本来なら少しの高低差となるところだが,実際は幾度も長大な上り坂と下り坂を繰り返して通り,そのいずれもがかなりの勾配があり,ほぼ直線区間となる。玉川通りとなっている区間は,東名高速道路につながる用賀まで,一般道の上に首都高速道路3号渋谷線の高架が並行している。

件の場所は,東京急行電鉄田園都市(新玉川)線池尻大橋駅の西口にも近く,同線の一駅分にあたる三軒茶屋や三宿から直線の長大な坂道になり,渋谷及び都心方面に向かって下り坂となっている。なおこの坂道は,この少し先の,山手通りをオーバークロスするあたりまで続き,そのあとは一転して青葉台・道玄坂上まで急な上りとなる。周辺の道路は狭隘で,並行路や脇道の少なさも手伝って,終日交通量は多いが,朝の時間帯は,とりわけ車道の混雑は激しく,渋停滞は普通で,車輛の走行速度が,法定速度に達することはほとんどなく,いわば自転車並みかそれ以下ということも少なくない。首都高高架下をはさんで上下線が分離され,横断・方向転換ができる場所も限られている。

蛇足ながら付け加えると,池尻は世田谷区の地名であるが,池尻の中心部分はこの歩道橋よりも西側の同名の信号交差点附近だ。田園都市(新玉川)線開通時に,かつて走っていた玉川電車の隣接停留所であった大橋(目黒区)とあわせて,その中間に現在の池尻大橋駅(これは単なる複合駅名であり「池尻大橋」という橋はない)を設置したため,人や車の動きが現在のように変わったのだ(池尻歩道橋近くにある池尻バス停は,池尻大橋駅への利便性を配慮してか,交差点附近にあった旧玉電池尻停留所よりも大橋よりにある)。したがって,映像にある件の場所附近は目黒区となる部分もあり,さらに都心方面は渋谷区となる。

このように,件の場所が,危険な“暴走”自転車の映像をつくり出す上で,絶好の場所と考え,意図的な選定によるものであったことは,容易に推察される。

当該箇所を都心方向に向かって走る自転車のほとんどが,道路交通法の原則通りに車道を走行していたため,それ自体に難癖をつけることが難しくなったと思ったのか,“危険”ぶりを描き出すことに血眼となったのだ。

荒唐無稽な走行速度測定


歩道走行自転車の“測定”が行われた地点 (2009.9.17)

下り勾配の直線が続くところで高い“測定値”を期待したが,たたき出されたのは,己の意図を遙かに超えた荒唐無稽な数字であった。だがその無知・不見識がゆえに,その荒唐無稽ぶりに気づくことなく,そのまま映像ソースとして放送に使用した。

歩道上を走行する自転車の走行速度を測定し,その9台の平均が34kmであったとした。下り直線区間が続くところでは自転車の走行速度も高めに出るだろうとの期待を越えた成果に欣喜雀躍したであろう出演者と制作者は,誇大を越えたその荒唐無稽ぶりに気づかず,放送してしまった。これをめぐっては,番組放送直後から疑問と批判の声が多く寄せられた。そうした声の多くは,かかる数値が非現実的であることや測定機器に関する問題に収斂し,この番組コーナーの他の問題や,その前提となる恣意性・詐術性についてまで論及したものはほとんどなかったように思われる。

野球のボールの速度を測るスピードガンで走行する自転車の速度を測定したとする詐術的手法は,以前NHK総合テレビ「ご近所の底力」でも行われていたもので,この種の常套手段のひとつといえよう(「TV番組「ご近所の底力」批判」参照)。

スピードガンによる計測が,測定対象との角度・距離等による誤差が大きく発生するのみならず,周囲の物体による影響も受けやすいことは知られている。そもそもドップラー効果を利用したスピードガンは,移動する物体に音波が反射した際の周波数変化をもってするのだが,移動速度が小さければ,周波数変化が小さく,微妙な違いを正確に捕捉することが難しくなるので,測定誤差が大きくなるのは当然だ。また野球のボールは,ひとたびピッチャーの手を離れれば,バッターボックスに近づき,キャッチャーの手に入るまで,周囲に影響を受ける物体がほとんどないところを空中で移動するため,かかる小さなものでも測定可能になるわけだ。それにたいして,地面を走り,周囲に,道路や建物といった固定物のみならず他の歩行者・自転車・自動車といった移動体があるなかでは,それらがもたらす音波の反射による影響は無視できないばかりか,その及ぼし方は想像を超えるものがある。これより遙かに荒唐無稽な数字が出ることもある。

件の場所の歩道は,コンクリートブロックを敷き詰めたもので,凹凸も大きく,車道側に傾斜し,その傾斜も車道に近づくにつれて大きくなっている。こうしたところでそれだけのスピードを出し続けて走行することは不可能だ。まして他の歩行者等を避けながらの走行である。かかる時間帯であれば,車道(測定場所附近はちょうど歩道と車道の間の植え込みが途切れている)を走る自動車でもそれだけの速度に達していないこともあろう。

走行車線

自転車の走るべき場所といえば,軽車両であるから車道の左端と一般に規定されている。これは車道のうちなるべく左側に寄せてというだけで,具体的にその範囲を規定しているわけではない。他の軽車両に分類されるものは大概自転車より幅があることを考えれば当然だろう。番組では第1車線(もっとも左側の車線)の左半分を着色して,そこがあたかも自転車が通行を許可された範囲であるかのごとくしていたが,それは番組制作者の勝手な思いこみに過ぎない。

自転車及びその他の軽車両が車道の左端を走るべきとするのは,これらが車道を走行することを原則として義務づける一方,他の車輛が必要に応じて優先されるべきことを説いたものと理解すべきだ。したがって,車道の端などに障害物や駐停車した車輛が既にあれば,それを避けて道路中央部や右側に出ることは,自転車に限らずいかなる車輛においても当然のことだ。かかる障害回避にあたって,車線移動をなるべく最小限にすべきことも,かかる原則のうちに含まれていると理解すべきだ。 また縁石近くや路肩を走行帯とするのも誤りで,これは本来,自転車にかぎらず車輛の走行すべきところではなく,道路の機能維持のために設けられているものだ。

接触や転倒を回避し,もしくはその場合の自他のダメージを最小限にとどめるために,自転車で車道を走るときは,左右に身ひとつ以上の余裕を確保したいものだ。

逆走と歩道走行

番組では,歩道を走行する自転車とともに,車道を逆走する自転車をやり玉に挙げている。


池尻歩道橋からみた玉川通りと接続道路 (2009.9.17)

件の番組で通勤途上であろう自転車利用者をとらえた映像を撮影した地点。本線上は終日交通量が多いことはいうまでもないが,すぐ近くには東京三菱UFJ銀行の事務センターがあり,多くの現金輸送車が出入りしている。本線上を走る路線バス(東急バス・小田急バスとも都心方面ではみな渋谷駅行きとなる)には及ばないが。

歩道を走行する自転車の危険ぶりを描き出すべく,荒唐無稽な走行速度をでっち上げたことについては上述の通りであり,それ以前にもはや賢明で良識ある読者であれば,この番組の言を信じることはないであろう。また車道を逆走する自転車なるものの映像もあったが,上り坂になるためでもあるが,その速度は他の自転車と比べてもせいぜい1/3程度で,これぐらいの速度であれば歩道上を通行しても支障ないであろう。また,道路沿いや脇道へのアクセスを考えれば,車道の流れに即さない向きでの走行が必要になる場合もある。

自転車の車道走行の原則を推進し徹底しようという限りにおいては,この番組の趣旨そのものを全否定するものでもない。しかしながら,件の場所のように,並行路が少なく,対向車線が大きく分離され,方向転換が容易でないといった条件下では,自動車と同じ走行方法のみを要求することはいかがなものであろうか。

現行の法規では,自転車歩道通行可とすること自体は認められているが,その一方で,本来例外たるべきそれが無原則に拡大・濫用されているといわねばならない。これが車道からの自転車排除の口実となり,自転車及び利用者の資質低下をもたらしたとする者もいる。この番組に「専門家」と称して出演しコメントしている自転車活用推進研究会事務局長・小林成基もその一人だ。

自転車及び利用者は,移動距離,利用目的はもちろん,その体力・経済力などにおいて大きな差があり多様な存在である。その各々の条件と目的にしたがって利用できるようにすることが,追求されねばならない。上質な自転車で,体力を活かし,長距離を高速で移動する上での便宜を図ることは必要であり有益だ。そうすることによって,かかる自転車及び利用者が,彼ら自身が享受するのみならず,社会全体にもたらす利益も増大するからだ。しかしそれとあわせて,その他の多様な自転車及び利用者のニーズに即した便宜を図ってゆくことも忘れてはならない。これなくしては,一部の自転車及び利用者のみの利益を追求し,自転車及び利用者の格差社会化を進める強者の論理となってしまう。

自転車の車道走行の原則を推進し徹底しようとするのは結構なことである。一方で,例外のない規則もあり得ないわけで,その例外の持つ意味について吟味する必要があることも,忘れてはならない。

例外は弱者の利益のために。

あるべき進入と合流は

脇道もしくは歩道上から車道本線上へ合流しようとする自転車について,あたかも自転車が無鉄砲に飛び出し,事故を誘発・惹起せんとするものであるがごとく描き出し,それを裏付ける“実験”までしている。その恣意性を暴露することにとどまらず,現実的にあるべき注意方法,さらには真に危険をもたらしているものは何かについて明らかにしていこう。

番組では車道に入ろうとした自転車を避けようと,大げさに急ブレーキをかけ右ハンドルを切った場面が映し出されたが,それでは満足しなかったのか,教習車を用いて教習場のコース内で“実験”し,自転車を回避しようとしてハンドルを切ったところ,運転者の視界から自転車が見えなくなったとされたことをもって“危険”としたものを追加した。

前者では,自転車の車道進入にあたっての安全確認が万全であったとはいわないが,自転車の車道通行原則についての自動車側の認識欠如,自転車・自動車相互の視認を遮り,円滑な進入を妨げる道路の構造の全てにおいて問題であるといわねばならない。

高速道路でもない限り,一般の車道では,交差点に限らず,随時合流・分岐するものであり,それらにたいする注意は常に求められる。とりわけ同一方向に複数の車線がある場合には,もっとも外側の第1車線は,一般的走行車線,低速車向け車線であるとともに,合流・分離をもっとも頻繁に行う車線であることを想起しなければならない。主たる軽車両走行帯であることを認識することも当然だが,自動車にたいしてとるべきかかる認識を自転車にも行うことが必要だ。とりわけ,その走行を妨げるような左幅寄せなどを行ってはならないことは言うまでもないが,これによって安全確認のため停止もしくは徐行しているものに危害を及ぼすことになることにもあわせて注意しなければならない。

後者では,カラーコーンで隔てられたところを同じ速度で真横に並行して走ったうえで,突如自転車が自動車の前方に飛び出してくるという“実験”をしたとするが,その情況設定およびそれと導き出された結論との関係において,いくつかの疑問点がある。車道上ならともかく,歩道上の自転車が車道を通常の速度で走行する自転車と併走し続けるという設定そのものに無理があり,先の荒唐無稽な速度計測結果という虚構の上になされた砂上の楼閣のごときである。もし自動車の真横を同一速度で併走したとすれば,走行中の運転者の視界は速度が上がるにしたがって狭くなるため,静止状態で何とか視野に入る真横を,走行中に視認することはほとんど不可能だ。また同一速度で併走した場合,静止しているように見え,自らと別個の移動体とは認識できず,視界に入っても注意しなくなるとする説もある。移動体と認識して注意しようとしても,自他の距離感をつかむことは困難だろう。この“実験”からは,その目的・意図とは別の注意点なり教訓をつかみ取ることは,それなりの意味があろうが,それを一般化して理解するのか誤りだ。

歩行者・自転車・自動車各々の道路上の利用すべき空間を確保した上で分離し,それ明確にすることは,交通の安全と円滑化において有効であるとすることは,原則論としては正しい。だがその空間の確保と分離の方法如何によっては,危険を惹起する兇器ともなりうる。車道・歩道間のガードレールは安全確保に有効だし,中央分離帯の植栽は,夜間,対向車の照明の直射を緩和する上で,安全に貢献している。だが,そうした植栽を車道・歩道間,もしくは自転車走行帯もはさんで設置した場所では,それが視界を遮り,安全確認できなくなるのだ。さらに街路樹なども合わさると,陰になった部分が暗くなり,さらに見えにくくなる。景観上の観点から植栽を設けることも増えているが,これが時と場合によっては,交通安全に寄与しないばかりか,危険を生み出していることも忘れてはならない。件の場所附近でも,車道・歩道間の視認を妨げている箇所は多い。

したがって,自動車運転者に求められるのは,車道を自らと相前後して走っている自転車の動き方や,交差点や合流点それ自体を接触可能性のある箇所と認識する,もっとも基本的・原則的な注意のしかたにほかならないということだ。そしてこの注意点・方法と原則的姿勢を,自転車利用者や歩行者とも共有することが望ましい。

現実の道路上において,合流や交叉にあたって,いずれか一方以上が一旦停止すれば事故が防げるというのは,限りなく幻想に近いことは,ほとんどの読者の皆さんは先刻お気づきだろう。そもそも一旦停止は,それ自体が目的ではなく,前後左右の安全を確認するための手段であることを忘れてはならない。また不必要な徐行・停止・車線変更などが他の危険や事故を及ぼす可能性もあるので,かかるものを必要最小限にとどめることも心がけたい。

安全確認をするためには,移動方向・速度などを異にする他者を視認できるところまで進まねばならない。その時点で既に他者の走路に達することもある。自分の身体はそこまで達していなくても,前輪や,車であればボンネットが既にはみ出していることは日常茶飯事だ。しかもこれは自転車に限らず単車や自動車でも同様かそれ以上だ。そうなれば,もっとも危険が少なく円滑な合流方法は,高速道路の本線上に出るときと同様,合流対象との角度差をなるべく小さくして徐行しながら合流先の安全確認をする,合流にあたって極力距離をとり,合流後には合流先の流れに合わせる,を自転車や単車も実行することだ。もっともこれは理想的なケースであって,実行可能なケースは限られようが。

一般的情況下において,安全と事故防止を追求するのであれば交差点や合流箇所への進入に際しては,最徐行をもってし,安全確認を怠らないことが肝要だ。最徐行とは,直ちに停止もしくは方向転換できる速度のことだ。一旦停止はしかる前提に立って初めて意味がある。急停止するのでは自傷他害の危険がある迷惑行為だ。小さな兆候をも逃さない早くからの危険予知と素早い危険回避を常に念頭に置くことだ。かかるものからであっても,この程度の原則を確認する程くらいの教訓は得られよう。また,手信号等による意思表示も有効だろう。もちろん標識や信号で一旦停止を求められているところでは停止しなければならない。これは安全確認とは別に,その場での通行の優先順位を示すものだからだ。

安全確認はもちろん,交通法規や交通環境のあるべき姿について論じるにあたって,自らと異なる他者にたいする,理性的認識が求められる。それなくして事故防止はもちろん,建設的変革はもたらされることはない。「歩行者vs自転車vs自動車」といった対立図式や限られたパイの分捕り合戦のような陥穽に陥るものであってはならない。

かかるなかから自らと異なる他者にたいする寛容の精神を涵養することは,多様性を内包した主体的市民の進むべき道である。

これでもひとつの前進か…

現実的情況下で,いかに安全確認をするかという観点に立たなければ,非現実的な「危険」を空叫びして,敵対感情を煽るだけだ。かつて繰り返されたように,低俗娯楽番組において,かかるテーマを扱うという破廉恥行為に手を染めなかったという点では,バラエティーを看板とするこの放送局としては,ひとつの前進であったといえよう。だが,恣意的な場所設定や荒唐無稽な計測値の利用など,笑いをとるための娯楽番組であればまかり通ったであろうことを,依然懲りずに行っている点では,同水準にとどまっているといわねばならない。かかる水準で報道番組を制作するとなれば,その内容は到底信用するところとはなり得ない。一般に同局の論調は「右」に偏向しているといわれるが,この場合は「下」に偏向しているといわねばならないだろう。

(2009.9.28)

参考

関連記事

フジテレビ番組における自転車蔑視発言を弾劾する
同局のバラエティー番組における問題を指摘,弾劾したもの。
TV番組「ご近所の底力」批判
「大迷惑!歩道を暴走する自転車」(NHK総合テレビ2003年10月9日放送)で同様の捏造手口あり。
TV番組「ご近所の底力」批判・2書評『自転車市民権宣言』
最近の類例及び番組でコメントしている小林成基の立場や意識についてはこちらを参照。