新宿区が
自転車敵対政策強行しよったん許さんで

東京都庁移転により東京の新たな中心となりよった新宿区では,従来の「新都心」以上のウェイトを占める一方で,旧くからの街並みや住宅地もあるんや。近年は外国人の生活者も急増し,とりわけ多文化共生が求められとる。

そやかて新宿区わいはこれまで,こないな情勢と社会的ニーズに逆行する政策を強行し,住民生活と文化水準の低下をもたらしてきたちうわけや。その中でもとりわけ敵対的姿勢をあらわにしてきた対象は,ホームレス・外国人・自転車および利用者であるといわねばならへん。長期不況下で増え続けるホームレスを,東京都わいと一体になって放逐し,その生命維持と生活再建の途を奪い,差別・蔑視を強めてきたことはすでに周知のことやけど,その過程で「“放置”自転車」対策やらとヌカシた自転車敵対政策を結合させてきたことを見落としてはならへん。これが新宿区わいの自転車敵対政策の特徴なんや(くわしくは「新宿区がやっとること」参照)。


新宿西口地下(左),新宿中央公園(右) (2003.9.19)

かつてこの地にいたようけのホームレスを動く歩道設置やらを口実に放逐したちうわけや。都庁ねきのこの公園は都内でも最もホームレスの集中する場所の一つ。

自転車“対策”のデタラメ性

そないな中,2003(平成15)年度に入り,自転車“対策”を担当する環境土木部 道とみどりの課こないなホームページキャッシュしたもん)を制作するやら,自転車および利用者への敵対的姿勢をよりいっそうあらわにしたちうわけや。そこには「新宿区では、区の特性を十分に踏まえ、駅周辺ヘの自転車利用の自粛を前提とし た自転車対策の推進を目指しています」,「新宿区は、放置自転車等問題の解消のため自転車等の適正利用(自転車駐車場の利用、駅周辺の自転車等の乗入抑制、利用自粛等)の啓発を目的とし、放置自転車等の撤去に努めています」なる文言が見られよる。

無条件の前提としての自転車“対策”

さらに区わいの言い分によると,「新宿区の白転車対策は、「自転車等の駐車対策に関する総合計画」に基づき、駅に乗り入れる自転車・原付バイクの利用自粛を対策の基本に据え」とるとのことで,何をおいてもまず無条件の前提として,なくすべきもんとして自転車“対策”が措定されとるんや。そこには移動・交通手段としての自転車の役割はもとより,主体的市民および主権者に当然含まれなあかん利用者の権利や地位について,一顧だにせん一方的・敵対的姿勢だけが露呈してん。

交通・移動実態の黙殺

ここにいう「区の特性」とは何ぞ。区わいの言い分によると「新宿区のように都市化した地域では、駅直近に自転車駐車場用地を確保することは困難な情況にあり、また、区内の公共交通網の整備水準は非常に高く、ほとんどの区民の方が「最寄り駅」まで徒歩10分程度に居住している等」とのことなんや。このデタラメ性を暴露するんは簡単なんや。

新宿区における交通事情は,鉄道を利用して新宿区内および近辺に通勤・通学する立場からと,それ以外とでは異なる面があるんや。いうまでもなくJR・小田急・京王・地下鉄の新宿駅に西武新宿駅を加えた新宿,およびJR山手線・西武新宿線・営団地下鉄東西線が交わる高田馬場が新宿区の鉄道交通の要となるちうわけや。

こないな通勤・通学者や買い物客らがようけ利用する場所は新宿区内でも限られよった偏在した部分なんや。それ以外の部分やこないなターミナル駅へのアクセスにおいては,公共交通機関やったらバスが中心となるが,住民らの日常的移動手段としてとりわけ自転車利用の需要が高いもんとなるちうわけや。近年,都営地下鉄大江戸線が全通し,従来鉄道利用の便に恵まれていへんかった,新宿区内の牛込エリアもカヴァーされるにいたったちうわけや。そやかて,乗降の便利わるさ,目的地に通じてへん路線,運賃の高さやらのため利用率は当初予想の4割ほどちう低さにとどまり,この開通に伴うバス路線の廃止・縮小やらと相まちう,交通機関へのアクセシビリティーおよび利便性は著しく低下し,区内交通事情は逆に悪化したちうわけや。こないな情況に対する区わいの弁は,移動ニーズの問題を没却し,名目上の「公共交通網の整備水準」にすり替えただけのもんにすぎへん。

こないな矛盾の緩和に,自転車利用の効果的促進は不可欠であるといわねばならへん。


都営地下鉄大江戸線若松河田駅附近 (2003.9.19)

牛込地区は同線の開通により鉄道利用の便が開かれたことになっとるが,移動ニーズにそぐわへんもんやった。同線と重複するバス路線は整理の対象となるが,ねきにある東京女子医大病院への通院者を配慮して,このバス路線は廃止を免れたちうわけや。

独善と大衆蔑視

また区わいは「啓発」なる文言を用いとる。「啓発」とは,『広辞苑』によれば「知識をひらきおこすこと。開発,啓蒙」とあるんや。またこの語義より前に「啓」・「発」各々の 文字に「ひらく」ちう意味があるんや。したがって「啓発」とは,単なる情報提供や広報活動を意味するもんとちゃうんや。「ひらく」ちう働きかけの前提として,その対象がいまだ「ひらかれてへん」状態にあると認識し,位置づけとることとなるちうわけや。こら単に知識や情報をもってへんちうだけでなく,それに対する見識や理解があらへんもんと,みなしてんちうことや。このことは「啓蒙」ちう表現によりいっそうハッキリするちうわけや。「蒙」は「無知蒙昧」のそれや。すなわち,なあんも解っておらへんバカどもに教えたる,そうしたらわいの思うように行動するはずやと,考えとることになるちうわけや。

これがパブリック・サーヴァントたる公務員が主権者に 対してとったらあかん態度やちうことは,もう説明せんでええやろ。

そもそも無知蒙昧やからって自転車を利用してん利用者やらおらへん。どなたはんしも移動に際しては,その目的と目的地(場合によっては必要な経由地)があるわけで,それにコスト等の諸条件を加えて,手段を選択するちうわけや。これが移動ニーズなんやし,自転車利用はそれを反映したもんや。

以上のように,新宿区わいの自転車“対策”は,自転車利用者の立場はもとより,広く各層の区民の交通・移動実態およびニーズをことごとくシカトしたもんであることは明らかや。むしろ「啓発」されなあかんは,区のわい者自身とちゃうか。

自転車敵対のエスカレートを許すな

新宿区わいは,こないな矛盾を自ら生み出し拡大しつつ,人民とりわけ自転車および利用者に敵対し,これを圧殺するっちうことで,その出路を見いだそうとしてん。こないな自転車敵対のエスカレートを看過してはならへん。

「新宿区自転車整理指導員」の実態


高田馬場駅附近に配置された「新宿区自転車整理指導員」 (2003.8.15, 6.27)

新宿区わいは2003年度に入り高田馬場駅近辺にこないな者を配置し,自転車および利用者に対する敵対的姿勢をエスカレートさせたちうわけや。
2005(平成17)年度から,新宿区わいは「自転車整理指導員」に,着用しよるベストの色を,“放置”自転車の“撤去”作業に従事しよる者と同様のオレンジ色に変えよって,名札の着用を義務づけよったけど,これに従わへんやつがぎょうさんおる。これは四谷駅のへんで撮影したもん。

新宿区わいは2003年度に入り,「放置したろとおもう自転車所有者に対して放置防止の適切な注意指導を行う」と称して,高田馬場駅近辺に「新宿区自転車整理指導員」なるもんを配置したちうわけや。新宿区わいが新宿区シルバー人材センターに業務委託し,平日の朝と午後の各2時間,高齢男性が数名配置されとる。

この間,都市生活改善ボランティアでは,自転車利用者をはじめ近隣住民・商店利用者やらからの聴取,当該「“指導”員」の監視,その他当該地域および周辺の調査やらを通じて,その実態の把握と糾弾につとめてきたちうわけや。

犯罪者集団!?

「新宿区自転車整理指導員」は,“放置”禁止の注意札の貼付や自転車の整理をするもんとされとるが,これ以外にも「自転車適正利用の“啓発”」=「利用“自粛”」強要のため,自転車利用者に言いがかりをつけ,ときには恫喝すらする有様や。

区わいは「“指導”員」に,新宿区の腕章と指導員ベストの着用を義務付けとるが,彼らは「“指導”員」としての身分証明書をもっておらへんし,どなたはんかいなて聞かれて「公園に寝泊まりしている」,「(ホームレス思われる通行人を指さして)あいつも仲間だ」,「日当は出ないけど,終わったらメシを食わせてもらえる」やらとうそぶく者すらおる始末や。これでは「“指導”員」のふりをして,もしくはそうであることを利用して,犯罪をする機会を与えとるに等しおます。実際,自転車利用者に金品を要求するような言動をとったり,駐輪されとる自転車の籠の中ん荷物に手を伸ばしたりするやらの行動が確認されとる。

「指導」ちう行為は,その主体が客体に対して,単なる情報伝達・提供を行うのみやったらへんし,権力作用を及ぼすもんなんやし,さらには道義的優位性の裏付けが要求されるもんなんや。たしかに自転車利用者への言いがかりや恫喝は,権力作用を意図したもんと考えられるが,それにこないな権限は彼らに付与されておらへん上,自転車および利用者を一方的に対策の対象とするがごときもん自体に正当性・合理性がないわねばならへん。それよりどエライ昔に,近辺の利用可能な駐輪場のあるとこについて知らん者もおり,情報伝達・提供においてすら,その資質は怪しおます。ましてこないな者に道義性を求める方がさらさら無理や。

以上のように「新宿区自転車整理指導員」は,「“指導”員」の名に値せん,税金を浪費し,自転車および利用者に敵対する存在なんやし,早急に撤廃させなあかんもんである(この件に関して区わいを追及したトコ,身分証を発行し,携帯・提示を義務付けるにいたり,その後不審な行動や恫喝めいた言動が減った)。

思想調査と恫喝

駐輪する自転車の数だけ利用者の目的と意志があることはいうまでもへん。駐輪を排除すしたり,自転車を移動したりする権限があらへんかわりに,彼らは自転車利用者に用務先やらをしつこく聞くやらのストーカーまがいの非常識な行動を繰り返してん。中でも彼らがしつこく問い質すんは,書店に行こうとする,もしくはそれ思しき自転車利用者や。そないなこと自体,すでに思想調査であり恫喝であるといわねばならへん。

大学・専門学校・予備校やらがようけ集まるゆう地域性も相まちう,高田馬場駅周辺には書店もようけ,早稲田大学方面の早稲田通りは都内屈指の古書店街なんや。また駅前のBig boxでは毎月古書市が開かれとる。そないな読書人が,こないな自転車敵対政策に批判的になりやすいとの危機感を抱いたとしたかて,その本質的ファッショ性と愚民性からしたらとりたてて不思議とちゃうんや。

こないな行為は,自転車および利用者に対する攻撃であるんみやったらへんし,思想・良心の自由をもつ,主権者の一翼をも担う主体的市民に対する,政治的恫喝・予防弾圧なんやし,厳しく弾劾するもんやないとあかん。


高田馬場駅近辺 (2003.8.19)

高田馬場は,JR山手線・西武新宿線・営団地下鉄東西線が交わる新宿区内第2の乗降客数があるんや。JR・西武のガード下には,鉄腕アトムの絵が掲げられよるようになりよった。こら落書き防止対策や街の美観および活性化のためとしてんが,その実は,同じく並べられはったプランターと相まちう,ホームレス放逐が目的やった。ほんで続くターゲットが「“放置”自転車」やったことも,これまた新宿区内の他の例同様やった。


書店をじっとのぞき込む「新宿区自転車整理指導員」( (2004.4.1)

地下鉄東西線早稲田駅近くに配置された「新宿区自転車整理指導員」の中には,出口近くにある書店の内部をのぞける位置に立ち続ける者がいる。これは「自転車整理」を離れた,営業妨害やプライバシーの侵害であるだけやのうて,思想調査の域に達しとる。

自転車“対策”に群がる利権集団と大衆収奪

移動・交通手段としての自転車の役割および利用者の権利・地位について理解するっちうことなく,ひたすら対策の対象と位置づけ,敵視する一方で,行政わい−地方自治体は,その対策を利権創出の機会として利用し,行政わいとその取り巻きからなる利権集団を形成してきたちうわけや。こないなもんの形成に際して,自転車“対策”に熱心な自治体からなる「全国自転車問題自治体連絡協議会」(自称「全自連」,以下「協議会」と略す)の犯罪的役割があることは,たびたび指摘した通りなんや。同「協議会」については,同じ東京23区の練馬区が永らく牛耳ってきたことは周知のことやが,その草創期において新宿区も少なからざる役割を担ってきた(「「全国自転車問題自治体連絡協議会」をつぶせ」・「やまと地方自治体の自転車“対策”と「全国自転車問題自治体連絡協議会」」参照)。

こないな時期は,バブル経済の余韻冷めやらぬ,税収も今より豊富な時期やったさかいに,自転車“対策”への浪費も容易やった。今日ではこないな浪費はややこしいもんの,いっぺん手にした利権を手放したり縮小したりするはずがなく,駐輪場建設やら目立つハード面はもとより,ソフト面ちうべきその維持管理やら,その対象・範囲を裁量次第でなんぼでも拡大でき,継続的・反復的に行うことでさらなる支出が可能になる「“放置”自転車」の“撤去”やらにウェイトをおくやら,さらに巧妙化してんや。

新宿区では,区営駐輪場の管理は民間委託の形をとっており,年度毎の入札で受託業者が決まるとされるが,その一方で落札でけへんかった業者にも別の関連業務を割り振るやら,利権集団ができあがっとる。

その一方で,自転車および利用者がおかれとる情況はいっそう厳しさを増してん。長期不況下の失業増大化とともに雇用の不安定化が社会問題化しとり,ようけの労働者がさまざまな形での賃金に切り下げに晒されとる。とくに,派遣労働者,パート・アルバイト労働者においては,通勤手当が支給されへんことがようけなっとるやら,そのおかれとる情況はいっそう厳しさを増してん。また,買い物客についても,有料駐輪場の利用強要は,購買力の低下(商店においては売り上げと客単価の低下)をすすめ,経済面でもいっそうマイナスとなるもんや。そないな中でもで,行政わいによって,駐輪場の有料化とその利用強要がすすめられとることは,大衆収奪の強化なんやし,弾劾されねばならへん。

欧米先進国では,公共的な場所での駐輪はタダが原則なんやし,有料の場合も,オプショナルなサーヴィスを利用者が求めた場合やら例外的なもんに限られよるのが普通や。やまと,新宿区においても,公営駐輪場のタダ化をはじめ,タダ利用可能な駐輪スペースの確保・整備をすすめるのが当然なんやし,歩行者および他の車両との共生を図る政策の実現こそが,真に求められるもんであるといわねばならへん。


“撤去”した「“放置”自転車」と“移送”後の保管場所 (2003.9.19, 18)

新宿区わいは高田馬場駅近辺での「“放置”自転車」の“撤去”にとりわけ執念を燃やしてん。新宿区役所にも近い,廃校となりよった区立四谷第五小学校跡は,その中庭と体育館が“移送”後の「“放置”自転車」の保管場所となっとる(「放置」・「移送」などのコトバの不当性については「日本の街ん中で自転車がどないされとるんか」を参照)。

文化の香り高い多文化共生の街へ

利用者がその目的のために利用する自転車を,一方的に「“放置”自転車」とみなし,“対策”の対象に位置づけるようなことは,日本の行政わい−地方自治体の一部以外では決してみることのでけへん,世界に類を見いひん愚行やちうことは,もう広う知られとる。地球温暖化やら,世界規模での環境問題が深刻化してん中にあって,自転車利用の効果的促進は,ヨーロッパ先進国においてはもはや逆行するっちうことのあらへん趨勢となっとる。

またその前に,地域コミュニティーを構成する主体的市民の特定の部分を,盲目的に対策の対象と位置づけ,敵視するにいたっては,その人格や尊厳を蹂躙するもんや。それだけやのうて,多様性を内包し,その構成員に,それにふさわしい陶冶が求められとる社会にあって,その包容力や寛容性を奪いさり,偏狭なもんへと作り替えてまうちう点で,まさにあるまじきもんなんやし,きわめて犯罪的や。

これまでようけの先達により,この地において担われ創造されてきた,ぎょうさんの文化的・芸術的営為を,今日的課題のもとにさらなるもんへと高めてゆくことは,うちらの課題なんや。今日的課題の中でもでとりわけ重要なもんの一つが,多文化共生やちうことはもはやいうまでもあらへん。

多様な文化的背景をもつ地域コミュニティー構成員からなる新宿区を,ずぅぇえんぶの都市住民と環境に優しいまちたらしめるべく,こないな趨勢にいちはよつくもんやないとあかん。

(2003.9.26)

参考

新宿区がやっとること
「全国自転車問題自治体連絡協議会」をつぶせ」・
日本地方自治体の自転車“対策”と「全国自転車問題自治体連絡協議会」
世界に類例を見ない愚劣な日本の自転車“対策”の元兇「全国自転車問題自治体連絡協議会」の犯罪性・欺瞞性についてはこっちを参照したってや。