TV番組「ご近所の底力」で ちょっとおかしなこと言うてたで (NHK総合テレビ 2003年度木曜21:15〜)
放っとかれへん自転車イケズ番組
「放っておけない放置自転車」(NHK総合テレビ2003年9月4日放送)
暑さ冷めやらぬ2003年9月4日,NHK総合テレビで「難問解決! ご近所の底力」ちう番組が,「放っておけない放置自転車」なるテーマのもと,プロ野球中継延長のため当初予定より1週間遅れで,放送されたちうわけや。この番組は,昨2002年4月30日,「放置自転車を退治せよ」なるテーマのもと放送された前身番組「妙案コロシアム」においてと同様,自転車と自転車利用者を自らと対等な市民と認識するっちうことなく,敵視感情を高めることに終始したちうわけや。
こないな点においてヨリ巧妙化した,この番組の犯罪性を確認し,弾劾するとともに,自転車利用者を対等な市民と認識して,合理的・理性的にとらえ直す道を,改めて探っていきまひょ。
難問解決!?
「あなたの地域の悩み,みんなの経験と知恵で,解決しませんか」,「ご町内から日本が変わる」なるふれこみのもと,「長引く不況,構造改革の痛み。問題山積の日本…。せやけどダンさん今「嘆いているだけでは何の解決にもならないと,自ら解決に立ち上がる人々が増えています。そんな前向きで元気印な人々を応援する」番組として,前身番組「妙案コロシアム」をレギュラー化したもんといえるちうわけや。
アナウンサー・堀尾正明の司会で進行された今回の番組は,大田区蒲田駅西口地区の住民を「お困りご近所」とし,「自転車を“放置”する人」として自転車利用者を顔を隠して加えるトコは,前身番組と同様の構成や。これに渡辺千賀恵を「“放置”自転車」問題の「専門家ゲスト」(九州東海大学教授,この人物の専攻は土木工学であって交通工学ではおまへん,また「“放置”自転車」の“対策”をすすめる区市町からなる「全国自転車問題自治体連絡協議会」にも関与してん)として加えるやら,もっともらしさを演出するっちうことに若干の腐心をしたもんや。
そやかて,清水圭・松居直美といった,現地リポートを担当したタレントの顔ぶれと手法からして,これまた報道番組やのうてバラエティー番組として作られよったもんであることがわかるちうわけや。こないなバラエティー番組でこないな問題を扱うことの不当性・犯罪性については,今更繰り返すまでもなく,賢明な読者はすでに理解されていまひょ。
要は,自転車利用者を,オノレと利害や立場は異(ち)ごとっても,対等な権利と主体性をもった市民と認識するっちうことなく,こないな前提抜きに一方的“解決”をはかろうとする姿勢に貫かれたもんやちう本質に,何ら変わりはあらへんのや。これが目指されとるトコの「難問解決」なんや。
実態はどうなんか?
番組冒頭で,蒲田駅西口地区の住民の「むかつく」とかヌカす暴言に字幕をつけて流すやら,自転車および利用者に対する敵視感情を煽る形で始められよったもんだけに,紹介された事例についても一方的・感情的なもんやし,理性的・合理的な捉え方は依然なされてへん。また,番組で取り上げられよった事柄が,実際の情況のいかいなる部分をどないな風に切り取り,さらには歪めたもんであるかについても,検討してゆく必要がありまひょ。
なお,この番組で取り上げられよったもんのうち,松山市・武蔵野市(吉祥寺)については,上述の前身番組「妙案コロシアム」でも取り上げられとるさかい,その問題点は「TV番組「妙案コロシアム」でちょっとおかしなこと言うてたで」を参照したってや。また,その他重複するっちうことも少なからずあるんで,それについてもコチを参照したってや。
東京都大田区(蒲田):「キネマの天地」を舞台にした偏向番組
大田区は,東京都および23区の中でも南端に位置し,蒲田はその中のさらに南端部にあるんや。サイレント(無声)映画時代にソコにあった映画撮影所によってその名を知られとるまさにその場所や。
番組で取り上げられよった蒲田駅はJR京浜東北線のそれやけど,その西口には東急池上線の駅もあり,件の商店街はその池上線に並行する形で西へ延びとる。蒲田駅西口と商店街西端ねきにはスーパーがあり,個人商店を中心とする商店街は,それに挟まれる地理的範囲を中心に広がっとる。このほかに,JR蒲田駅東口から京浜急行蒲田駅附近にも商店街は延びており,平坦な地形と相まちう,自転車利用の需要が多い地域といえるちうわけや。
同地に赴き駅前や商店街を一瞥したら,「歩道は通行が不可能」やらとする件の番組における映像が,自転車および利用者に敵対する形で恣意的に作られはったもんなんやし,「お困りご近所」なる「地区の住民」の言動が感情的・非理性的なもんやちうことは,どなたはんもが容易に見て取れまひょ。さらに番組(ホームページ)においては「患者搬送に駆けつけた救急隊員が通行を妨げられる事件」なるもんまででっち上げられとる。「事件」ちうからには,悪意をもって威力業務妨害をはたらいた自転車利用者がおったゆうのやろうか?


JR・東急蒲田駅西口附近 (2003.9.5)
この地域は,何軒かのスーパーはあるもんの,郊外型大型ディスカウントショップやらはなく,ようけの個人商店を中心とした広範に延びた商店街が,地域の消費需要を支えとる。したがって商店街自身が著しい凋落傾向にあるとか,その活性化が差し迫った死活問題になっとるちうわけとちゃうんや。自転車および利用者によってその商圏が広げられとることも忘れてはならへん。
もちろんそないな中にあって商店間の競争はあり,消費者・マーケットのニーズにこたえられへんし,NOを突きつけられよった商店主が,嘆きぼやくだけやのうて,先鋭的に自転車に悪罵を投げつけとるわけや。オノレの店の前に自転車を止めて他店に入った買物客に対する商店主の言が,それを象徴してん。要は,この種の他番組でもよう見られよるトコの,駅前商店街の一部個人商店主による,自転車への八つ当たりなんや。やけど地域全体の顧客数や売り上げの凋落が問題になっとるんとちゃうやろで,自転車および利用者に対する敵対的姿勢を悔い改め,顧客のニーズにこたえれば,件の商店主にも復活のチャンスはありまひょ。
ここでも例にもれへんし,大田区わいにおいて「“放置”自転車」担当するヤカラが登場し,愚にもつかん発言をしとった。大田区わいは,今2003年4月から“撤去”した「“放置”自転車」の返還手数料を従来の2000円から3000円へと一挙に1.5倍につり上げるやら,自転車および利用者への敵対姿勢をエスカレートさせとるだけやのうて,番組で取り上げられよった蒲田駅西口においては,連日駐輪された自転車を“撤去”するだけやのうて,「指導員」なる者を配置して,駐輪したろとおもう自転車利用者に対して敵対と妨害を行ってきたちうわけや。この「指導員」(常識的にいうたら,「指導」ちう関係が成立するためには,知識・情報のみやったらへんし,道義的にも優っとる必要があるが,ここではこないな関係は成立しえへん)は,自転車利用者からの反発(当然なされなあかん存在と権利の主張を「反発」としてとらえること自体が問題であるんや)を受けて,きょうびではもっぱら駐輪された自転車の整理に当たっとるちう。
本来公務員は,日本国憲法において「全体の奉仕者」と規定されとるように,自転車利用者と一部商店主ちう利害対立する両者がある中で,一方の側に立ち,もう一方の側の利害だけやのうてその存在すら顧みず抹殺するゆうことは,到底許されるもんとちゃうんや。このことは個々の公務員はもちろん,機関としての行政わい,さらにはその業務を担う者についてもいえることなんや。これがおよそ公共性ゆうものの原則や。となったら「公共放送」をうたうNHKにおいても,こないな番組があるまじきもんであることは明らかや。
そもそも自転車がその場にあるんは,利用者の合目的的行動の所産であるちう,当然の現状認識が欠如してんトコから,問題としての「“放置”自転車」が発生するちうわけや。駐輪ちう現象から発生するんとちゃうや。そないなもんを対策の対象と位置づけ,大衆収奪と利権追求の具とするんが,日本の行政わい・地方自治体が行っとるトコの,世界でも類例をみいひん異常な「“放置”自転車」対策なんや。
移動・交通手段としての自転車および利用者との共生こそが,健全な地域経済の発展を導くもんであることを,忘れてはならへん。
松山市;恫喝にもスマイルで!?
道後温泉で知られよる愛媛県松山市は,自転車普及率の高さとともに,市わいによる自転車敵視政策が四国一であることでも知られとる。昨年の前身番組においてと同様,今回も「放置自転車の監視員に熟年女性を採用。放置しようとする人に“優しく”声を掛け、駐輪場へといざなう作戦を展開」してんことを紹介したちうわけや。「あくまでも丁寧に話し掛け、決して相手を怒らせない」ちう表向きとは裏腹の実態を,ハッキリと確認するもんやないとあかん。
この熟年女性集団は,松山市内中心部の商店街に駐輪したろおもた自転車利用者に近づき,駐輪場へと案内するっちうことを活動の趣旨としてんちうが,その実態いうたら,自転車利用者を恫喝し,大衆収奪を担う尖兵に他ならへん。またこないな集団が,まるっきし自発的に長期間にわたって継続的に活動するっちうことは,常識では考えられへんことやが,こないなもんの政治的・組織的・資金的背景やらについて,この番組は明らかにせん。
番組の中でその一人が,自転車を利用する商店街の買物客に,200円の公営駐輪場利用料か2000円の“撤去”した「“放置”自転車」の返還手数料かの二者択一を迫るに至っては,まさに恐喝であるといわねばならへん。
この両者は,支出強要するっちうこと自体不当であるんみやったらへんし,金額的にも高すぎるもんなんや。公営駐輪場は,地方都市ではタダのトコロがようけ,大都市部の有料のトコロでも100円もしくは100円台が普通なんや。「“放置”自転車」の返還手数料においても2000円ちうんは四国一の高額なんやし,西日本の大都市部においても限られよったトコロでしかみられへんもんなんや。愛媛県の消費者物価や県民所得水準を考えれば,なおのこと突出した高さであるといわねばならへん。
昨年の前身番組においては,これとあわせて駐輪場における“サーヴィス”にも焦点を当てとったが,今回こないなもんについては触れられておらへん。これらは現在も存続してんやろか,それとも自転車利用者の不満をそらすためのごまかしやったんやろか?
いうまでもなく,欧米先進国において,公共的性格の高い場所の駐輪場はタダが原則なんや。またバスや路面電車にも自転車積載用ラックをつけとるトコも多いちうわけや。松山市においてこないなもんは検討の対象にすら入っておらへんのやろう。やけど,タダが原則の欧米先進国における公営駐輪場といえども,オプショナル・サーヴィスについては料金がこないなちうわけや。それとて実費以下の名目的なもんであることがほとんどや。
こないな自転車優遇策も環境問題への関心の高まりが背景にあるもんといえるが,ベーシックなもん(単に駐輪するっちうこと)についてタダであるちう原則と,それを前提にした上に有料のオプショナル・サーヴィスを附加するっちうことに,何らの矛盾もなく,この主体が,民間人であるか,公共性を求められよる存在であるかちうこともまた問題となるもんとちゃうんや。件の熟年女性集団においても,駐輪場への自転車の搬出入を請負ったり,自転車修理・整備業者を斡旋・紹介したりして,手数料収入を得るやらしたら,多少は「サイクルガイド」の名にふさわしいもんとなろう(観光ガイドの類と紛らわしい点は依然問題であるが)。もちろん駐輪場をタダにするっちうことが前提や。そないしたら,利用者がオノレで駐輪場に持ち込めば当然にもいっさい費用はかからへんし,それ以外は任意の附加サーヴィスへの対価として,その費用の性格がようわかるようになるだけやのうて,地域経済の活性化にも寄与するやろう。
まずは,どなたはんもがタダかつ無条件で利用できる駐輪場のうて「難問解決」はあり得へん。
武蔵野市(吉祥寺):行政わいの利権追求の裏で…
武蔵野市は,“撤去”した「“放置”自転車」の返還費用を全国で初めて3000円にし,市長・土屋正忠が「全国自転車問題自治体連絡協議会」の創立以来副会長を務める(なお同協議会の役員を務める自治体首長のうち創立以来居座るんは,この土屋一人だけになりよった)やら,市わいが自転車利用者に敵対的であるだけやのうて,こないな「“放置”自転車」“対策”を利権拡大の機会に利用するっちうことに執着してんことで知られとる。
昨年の前身番組においてと同様,今回も「週末で、営業していない銀行の駐車場を借りて駐輪場に」してんことと,それがタダで利用できる旨を紹介したちうわけや。やけどここで用心せなならへんのは,件の駐輪場が,商店利用者に対して義務的にもしくはサーヴィスの一環として,限定的・臨時的につくられよったもんであって,決して公共的性格のもんでも恒常的に利用に供されたもんでもないということや。まして武蔵野市の公営駐輪場がタダであることはあらへん。
たしかに週末・休日の買い物客へのサーヴィスとしては一定の意味がありまひょ。平坦な地形と公共交通機関の利便性不足やらによって,吉祥寺駅まで自転車でアクセスするようけの通勤・通学者が,件の駐輪場の恩恵に浴するっちうことはあらへん。だけやのうて彼らは,こないな「“放置”自転車」“対策”を利権拡大の機会に利用するっちうことに執着してんトコの,武蔵野市わいによる大衆収奪の餌食とされ続けとるのや。
こないな風な番組では,こないな面を正面から取り上げることはあらへん。
市川市(行徳):自転車イジメ千葉県一の市で起きとることの本質は?
市川市は,千葉県の西北端ねきに位置し,西側の一部を浦安市と接するほかは,西側と北側の大部分を東京都江戸川区と接してん。JR総武本線,営団地下鉄東西線,都営地下鉄新宿線により東京都心と直結しとり,通勤・通学の便に恵まれたトコロであるんや。また,全般的に平坦な地形のため,自転車利用にも便利なんや。
そないな自転車利用の需要の一方で,市川市わいは,“撤去”した「“放置”自転車」の返還費用を全国で初めて4000円にしたことでその一端が示されるように,自転車および利用者に対する強権的敵対的姿勢で知られとる。余計なお世話やけどこの4000円ちう金額は,千葉県内でも突出して高いのみやったらへんし,今も千葉県一なんやし,全国でも五指に入るもんである(「全国自治体における「“放置”自転車」“対策”の概況」参照)。

営団地下鉄東西線行徳駅前 (2003.9.6)
駅入口に至る広場と歩道。人や車が通るスペースに沿った角度から撮影すると何ちうことのあらへんもんであっても,そうやない角度から撮影すると,駐輪されとる自転車によって通路がなかったり実際より狭く見えたりするちうわけや。また,画面右手には2列に駐輪されとるが,その部分を切り取って撮影すると,さも自転車によって人車の通行が妨げられとるかのような画面をでっち上げることができるちうわけや。これがこの種の番組で常套手段で用いられよるトリックや。今回の番組では蒲田駅西口でこないな映像が作られよったが,この種のもんはいたる所で作られよる危険があるんや。
こないな市川市わいの強権的敵対的自転車対策を下支えする存在を,この番組は図らずも暴露したちうわけや。

無料共有リサイクル自転車「フレンドシップ号」 (2003.9.6)
営団地下鉄東西線行徳駅前の駐輪場所にて。こないな場所におかれとる「フレンドシップ号」がちびっとのため,乗り捨てられとるもんを移動して撮影したもんも含む。タダで利用できる点は評価できるが,乗る前に空気圧やブレーキを確認する利用者がようけおることから察するに,この整備・管理情況には疑問が残るちうわけや。
番組では,駅前駐輪を減らすとして,共有リサイクル自転車「フレンドシップ号」なるもんが紹介されたちうわけや。こら市川市内で,地区の保護司・PTA役員らで構成するNPO「青少年地域ネット21」が,廃棄処分される「“放置”自転車」を譲り受け,市内の児童に模様を描かせたもんで,車体広告の収入で経費を賄っており,約600台がタダで利用に供されとるとしてん。
番組で映し出された行徳駅前をはじめ,市川市内で実際に「フレンドシップ号」の利用実態を確認したら,駅前や公共施設やらのきまったとこの置き場所からのニーズは高く,乗り付けられるや短時間のうちに次の利用者の手に渡るゆう状態やった。もちろんタダちう看板に偽りもあらへん。せやけどその整備情況やクオリティーについては厳しい見方をせざるを得へんし,ブレーキやタイヤに何がしらの難があるもんがほとんどやった。利用者もその辺は心得とるようで,乗る前にタイヤの空気やブレーキの作動をチェックする姿が目立ったちうわけや。
こないなことは利用に供されるうちに発生したもんだけでなく,当初からのもんもあったとみなあかんのや。番組でも児童がチェーンに塗料で彩色を施してん映像があったが,実際に本来塗装やらを施すべきやない箇所への彩色が,少なからずなされとった。もはやこら整備情況やクオリティーより以前の,当該NPOらの自転車に対する安全認識の欠如をうかがわせるもんや。廃棄処分されるもんやから,ゴミ同然の認識しかせんかて不思議とちゃう。これでは児童がもんを大切にする心を育む機会を逸するだけやのうて,利用者の安全がないがしろにされ,その生命がもてあそばれとるといわねばならへん。
番組中このNPO代表者・花崎洋は,利用率の高さに気をようしてか,おったまげるべき放言をしたちうわけや。将来は駅前やらの地域をこの「フレンドシップ号」だけを乗り入れ可能とし,それ以外の自転車の排除を目論んどるちうのや。実際ヨーロッパでは市街地中心部への自家用車の乗り入れを禁止し,自転車や公共交通機関の利用を促進してんトコロがあるんや。それをまねた発想のつもりなんかも知れへんが,それとは逆の,ごっつう間抜けで愚劣な言辞ちうほかいないちうわけや。
利用目的や体格・体力やらの身体的要素といった,自転車利用者の置かれとる情況は多様なんや。そやから,たとえ愚策であっても,ひとつの方法が提示されること自体は,選択肢が増えるゆう点で評価されなあかんもんであるといえるちうわけや。内容にこないな難点があっても,共有自転車ちう利用上の選択肢ができること自体は歓迎されなあかんことなんや。そやかて,それをもって他の方法を排除したろとおもうことは断じて許されへん。
この「フレンドシップ号」 が,すでにこないな性格を帯びたもんであることも見落としてはならへん。現に自転車利用ニーズの高い場所が自転車“放置”禁止区域なっとることと表裏一体の関係にあるからや。すでに述べたように「フレンドシップ号」は,廃棄される「“放置”自転車」から生み出されとる。市川市はその突出した高額の返還費用やからに,“撤去”された「“放置”自転車」が持ち主のもとに返る率が著しく低いのや。このことは同様の地理的条件にある近隣の浦安市や船橋市との比較においても明らかや。これが「フレンドシップ号」存在の前提なんや。
すなわちこの「フレンドシップ号」は,市川市わいの強権的敵対的自転車対策を前提としとり,それを補完し,下支えする存在なんや。さらには,市わいがそれによって独占してん利権に,“市民”を僭称して取り入り,その一角を分け前として預かろうと目論んどるもんであるといわねばならへん。
覚めよ同胞(はらから)!
ずぅぇえんぶの賢明なる読者のみなさん。
すでに明らかにされたように,件の番組で取り上げられよったトコの,問題としての「“放置”自転車」なるもんは,自転車がそこにあるちうことは利用者の合目的的行動の所産であるちう,当然のことを理解でけへん,もしくはそれを頑強に拒む,貧困かつ頽廃的な感性に規定された,一方的かつ敵対的感情の発露によって,直接的には現象化されたもんなんや。またその背景には,これに棹さし利権拡大の機会に利用する行政わい・地方自治体,上からの盲目的組織化に利用するさまざまな政治的権力があることを忘れてはならへん。
主体的市民は,自転車利用者をその一翼となすトコの,多様性を内包した存在であることを自覚し,ずぅぇえんぶの都市住民と環境に優しい街の実現にむけて,それにふさわしい知性と感性の成就を目指す自己変革と,それを阻む存在にたいする外なる変革とを,仮借なく進めるもんやないとあかん。
(2003.9.12)
大迷惑!暴走する自転車イケズ番組
「大迷惑!歩道を暴走する自転車」(NHK総合テレビ2003年10月9日放送)
NHK総合テレビの「難問解決! ご近所の底力」では,9月4日放送の「放っておけない放置自転車」から約1ヶ月後の10月9日,「大迷惑!歩道を暴走する自転車」とかぬかすテーマのもと,またも自転車敵視番組を放送しよった。その偏見と敵視ぶりは,「本来、歩行者が優先されるはずの歩道やアーケード内を、我が物顔に走る自転車が後を絶たない。2人乗りや猛スピード、人混みをすり抜け、そして最近では携帯電話やメールを使いながらという無謀な運転も増えている。自転車が加害者となった事故は、この4年間で急増。去年は4600件に達した。「マナーの問題」の一言で片付けられ、警察にも行政にもほとんど対応策がないこの問題の解決の糸口をさがす」というふれこみからもうかがえるちうわけや。
番組冒頭ねきから「ワガママな自転車」・「凶器」やらと罵詈雑言を浴びせかけるアナウンサー・堀尾正明の司会で進行された今回の番組は,宇都宮市の東武宇都宮駅ねきの商店街関係者らを「お困りご近所」としてスタジオに集め,自転車および利用者に対する怒りや暴言を煽るもんやった。これに「自転車で歩道を暴走してん人」として自転車利用者を顔を隠して加えるトコは,これまでと同様の構成や。「専門家ゲスト」として,高崎経済大学教授・岸田孝弥(きしだ・こうや)を加えとるが,この人物は産業・組織心理学および労務管理を専門としとって,かかる問題の専門家ではおまへん(蛇足ながらつけ加えると,高崎経大には,自転車利用に関して著書もありよる,元NHK解説委員・横島庄治が,都市経営・国土政策を専門とする特任教授として在籍してんが,この人物がこの番組に関与した形跡は見いだせへん)。番組冒頭ねきのナレーションで「4年前から自転車の加害事故が急増」,昨年は「史上最悪」やらとしながらも,その原因・根拠を説明でけへんことにも示されるように,的はずれで一方的・感情的な,自転車敵視番組の放送を,性懲りなく繰り返したんや。
ゴミ・動物のフン並み,空き巣以下の自転車観
2003年4月の放送開始以来約半年の間に,この番組が扱ってきたテーマを概観してみると;
- 「やればできる!住宅街の防犯」(4月10日)…(c)
- 「犬のフン害に憤慨!」(4月17日)…(b)
- 「定年後 もう一花咲かせたい」(4月24日)
- 「大迷惑!落書きはなくせるか?」(5月1日)
- 「やればできた!ご近所のその後」(5月15日)
- 「カラスの勝手は許さない」(5月22日)…(b)
- 「スーパー撤退 買い物大作戦」(5月29日)
- 「マナー違反のゴミ退治」(6月5日)…(a)
- 「許しません!分別しないゴミ」(6月12日)…(a)
- 「若者よ タムロはやめて!」(6月19日)
- 「野良猫 増えて困ったニャン」(6月26日)…(b)
- 「油断大敵!マンションの防犯」(7月3日)…(c)
- 「抜け道暴走車を撃退せよ」(7月10日)
- 「元気回復!ふるさとの商店街」(7月17日)
- 「日本の夏 祭りよ よみがえれ」(7月24日)
- 「やればできた!ご近所のその後 PART II」(7月31日)
- 「ゴミを減らせ!お悩み解決スペシャル」(8月21日,2部構成)…(a)
- 「放っておけない放置自転車」(9月4日)…(d)
- 「お年寄りの閉じこもり解消大作戦」(9月11日)
- 「ステ看板に大迷惑!」(9月18日)
- 「やればできた!ご近所のその後 PART III」(9月25日)
- 「油断大敵!マンションの防犯」(10月2日)
- 「ルール無視!歩道を暴走する自転車」(10月9日)…(d)
- 「平和を乱す ハトのフン」(10月16日)…(b)
- 「犯罪から子供を守れ」(10月23日)
- 「バスも鉄道もない 生活の足が欲しい」(10月30日)
といった具合や。この中でもっとも時間を割いとるのが,(a)に示されるゴミについてや。しかも6月12日・19日と2週連続しとったり,8月21日に2部構成のスペシャルと称して通常の2倍の時間であるやら,特に力を入れとるといえるちうわけや。ついで,犬・猫・烏・鳩と変わるもんの(b)の動物およびそのフンについてが多いといえるちうわけや。そのほかに複数回にわたって取り上げられとるのが空き巣(c)と自転車(d)なんや。もっとも空き巣の場合は,4月10日・7月3日と約3ヶ月の間があいとるんに対し,自転車は9月4日・10月9日と約1ヶ月しかあいておらへん。この間隔は動物に関するはじめ3回のそれとほぼ同様なんや。それだけ自転車を執拗にターゲットにしてんわけや。
たしかにゴミや動物およびそのフンは衛生面で問題やろし,空き巣が犯罪であることはいうまでもへん。そやかて自転車の場合,その利用者は,それ以外の人と何ら変わるトコへん対等の存在である市民なんや。それをかかるもんと同様に扱ってきたことは,その人格と尊厳をへんがしろにした,重大な侮蔑なんや。このことは単に自転車に対する敵視姿勢が突出してんことにとどまらへん重大な問題なんや。
「お困りご近所」の背後にあるもんは?
番組に「お困りご近所」やらとして登場する「住民」が,その文字通りの意味の存在として立ち現れとる訳とちゃうんや。彼らをその尖兵として組織してんトコの,背後にあるもんについて,ここで言及せんわけにはいかん。
前身番組「妙案コロシアム」(2002年4月30日放送)では,東京都練馬区・武蔵野市・松山市を取り上げとった。これらの区市わいはいずれも,「“放置”自転車」の“対策”をすすめる区市町からなる 「全国自転車問題自治体連絡協議会」の積極分子として,その強権化と,それを利用した利権拡大を追求してきたことで悪名を轟かせとる(「「全国自転車問題自治体連絡協議会」をつぶせ」参照)。9月4日放送分では練馬区に代わって大田区と市川市が入っとるが,その本質は変わってへん。むしろ,創設以来事務局を置き,前区長・岩波三郎が会長を務めるやら,同「協議会」を牛耳り続けた練馬区を外したりするっちうことで,かかる背後を隠蔽したろとおもた分,巧妙化・悪質化したとえまひょ。
今回は,静止してん「“放置”自転車」から移動に利用されとる「“暴走”自転車」に,その矛先を代えたゆう点で現象的に異なる部分があるもんの,依然かかる行政わいちう背後関係があることを,ほんで自転車および利用者に対する直接的攻撃性と,上からの組織化と大衆動員ちう,そのファッショ的・権力者的意図がいっそうエスカレートしてんことを忘れてはならへん。
「“暴走”自転車」はこうして生まれた
ここで「“暴走”自転車」とされとるもんについて検討しよう(「“暴走”自転車」の取り扱いに関する問題については,フジテレビ「交通バラエティ やまとの歩き方」(2003年10月13・20日放送)でも共通してみられよる部分があるんで,同番組を批判した「フジテレビ番組で自転車ナメたことヌカしたん許さんで」を参照したってや)。
「“暴走”自転車」とは何ぞ?
議論を生産的なもんにする前提として,その対象についての定義がようわかるようになされ,それが意見の如何に関わらず議論に共有されとることが必要や。同じ“暴走”でもやな,バイクや自動車を用いて集団で行うわ,よういわはるとこの暴走族の場合は比較的明確や。速度や走行車線・方向やらが道路交通法に違反するんだけやのうて,他者への迷惑・危険が多大となる思われるもんをもってしてんといえるちうわけや。やけどそれにとどまるもんとちゃうんや。かかる迷惑や危険が,集団によって行われることにより生じる,もしくは著しく増大すると認識される要素やらが含まれるちうわけや。すなわち問題認識としての“暴走”とは,その対象が集団やったり,それを総体として認識するっちうことによる要素が多分に含まれとるといえるちうわけや。逆に個々のもんによる一過性の行為に対して“暴走”と呼ぶことはまれなんや。
「“暴走”自転車」は,こないな「暴走族」のごときよりも漠然としたもんやけど,“暴走”についてのイメージにおいて共通してん。すなわち,歩行者を初めとした,自転車利用者以外の存在からみて,その個々具体的なもんやのうて,総体としてとらえることで,嫌悪感や威圧感をもよおす存在をさしちゅうもんであるちうことや。要は,敵対する存在としての自転車に対するレッテルとして,停まっていれば「“放置”自転車」と呼ぶのと同様,動いていれば「“暴走”自転車」と呼んどるのや。
虚構のつくられ方
番組で流された,宇都宮の商店街での「ルール無用で歩道を走る自転車」なるもんの映像を検討してみまひょ。
まず自転車が「歩道を走る」ことについては,道路交通法で軽車両に分類され車道を走なあかんとされながらも,実際にはようけの歩道が自転車通行可とされとることに,番組中でも触れとるように「ルール無用」とするんは誤りや。いかに安全かつ円滑に自転車が車道を走るかを提示でけへん以上,「歩行者優先」といったトコロで,自転車および利用者に対するバッシングを煽るだけや。「2人乗り」・「3人乗り」については,女子高校生思しき2人による前者と,おかんが乳幼児を乗せとるもんを続けて流すことにより,合法か否かを問わへんし,一様に問題があるんやうな印象を強めとる。
「激突」が明らかいな誇張であることは説明無用やけど,「猛スピード」のそれについてはちびっと立ち入っておきまひょ。緩い下り坂を降りてきた,下校途中の高校生の自転車をスピードガンで測定し29km/hほどやったとしてん。その測定対象の選択自体が恣意的なもんであることはいうまでもへんが,音波反射時の周波数変身であるドップラー効果を利用したスピードガンは,測定対象との角度・距離等による誤差が大きく発生するんみやったらへんし,周囲の物体による影響も受けやすいもんや。かかる情況下では何とでも数字は作れるのや。この原理であるドップラー効果については,高校物理の基本をマスターしていれば容易に理解できるちうわけや。
その程度の知識があれば,かかるもんを見抜くことは,大学入試センターのセンター試験や高校の校内定期考査の問題よりも易しいはずや。
高校生と自転車
都市部でも地方そやけど,高校生の通学手段として自転車の役割は重要なんや。大都市部では最速達の交通手段となる場合も少なくなく,地方では長大な道のりを利用する場合もあるんや。いずれも徒歩での通学は困難・不可能でありながら,鉄道・バスやらの公共交通機関への依存もまた困難・不可能ななかでの利用が主となるゆう,切実さがあるんや。
また,かつてこないな高校生の自転車通学風景は,清新なイメージを持つもんやった。例えばやなあ,原節子・吉永小百合らが主演した映画「青い山脈」で,オープニングやらで大勢の生徒が自転車を連ねて登校するシーンが,テーマソングが流れる中で映し出されとることは,広く知られとる。そないなもんが現在,清新とは逆のイメージで,ときには敵意や憎悪すら込められて,取り上げられよるにいたったちうわけや。そないな転回の過程とそれが意味するもんについて,検討していきまひょ。
高校生にとちう,その通学距離からして,通学手段としての自転車の役割は低下しておらへん。地方においては長距離の自転車通学は今なお珍しない。1970年代までは高校進学率が上昇し続けたため,また1990年前後は同年代人口が増加したため,高校生の数は増加しとったが,この10年来は少子化が進む中にあって,高校生の数は減ちびっととる。こないな高校生が人口にしめる比率および,その時代情況と時々の社会で高校生がおかれてきた位置・位相が,彼らに対する見方を規定し,イメージを作り上げるちうわけや。
そないな風に見てゆくと,近年,少年犯罪の凶悪化が喧伝される中にあって,彼らの行動に対していっそう厳しいバイアスがかかり,それがマスコミ報道やらを通して拡大再生産されとることが解るちうわけや。この番組で取り上げられよった宇都宮および静岡の高校生についても,その例外とちゃうんや。
蛇足ながらつけ加えると,少子化に伴う学校の統廃合は,高校よりも小中学校でヨリ進められとる。その結果通学距離が延びることによる影響は,一般に学年が低いほど深刻となることはいうまでもへんが,中でも中学生の場合,これが自転車通学のニーズを高める要因となるちうわけや。高校生はもとより,中学生においても,通学をはじめとした自転車利用環境の整備が求められよるといえまひょ。
実態はどうなんか?
これまでと同様,番組で取り上げられはった事例が,自転車および利用者に対する敵視感情を煽る一方的・感情的なもんで,理性的・合理的な捉え方は依然なされておらへんもんであることは,もはや繰り返すまでもへん。
宇都宮市:餃子日本一の街で
栃木県宇都宮市は,北関東の内陸県の県庁んあるとこで,JR宇都宮駅・東武宇都宮駅を中心に,地域住民の通勤・通学・買い物やらといった,日常生活における交通・移動ニーズが形成されとる。その中心部ねきには,日光街道をはじめとした,東京都心と東北地方を南北に結ぶ幹線道路があるやら,同地域と首都中枢を結ぶとともに,同地域を通過する長距離交通ニーズを担っており,面積・人口に比して過大な交通量となる場所も生まれてくるちうわけや。局所的に集中しよる交通量の一方で,同駅ねきでは,大型小売店が相次いで撤退するなど,商業的には厳しい情況にある。「お困りご近所」として番組に登場した商店主らも当然それに含まれとって,彼らが自転車に八つ当たりしよるのも,この種の番組の典型的パターンちうわけや。
そやから,大型車両の割合も多い,交通量の多い幹線道路に自動車が集中する一方,これを避けて歩行者・自転車が別の場所に集中するゆう現象が必然化するちうわけや。そないな歩行者・自転車が集中する場所の一つが,番組でも取り上げられよった駅前商店街なんや。もっとも朝の通勤・通学の時間帯の交通量は1日の中でも特に多いもんの,それらが通る時間帯には商店はほとんど開いておらへんし,かかる交通量が商店の売り上げに寄与するっちうことにも妨げになることにもならへんのや。やけど,その帰途となる夕方は商店の営業時間中であるもんの,商店主らには,こないな通勤・通学者が往路同様通過者としてしか認識されておらへん。その必然の結果として,商店の売り上げは低迷し,八つ当たりの対象とされたわけや。そないな意識の形成は「“放置”自転車」と同様なんや。その解決方法も同じく,かかる通勤・通学者を顧客たらしめるべく,そのニーズに沿った営業へと,商店(街)を改革し,地域経済活性化の中でなされなあかんことや。
静岡市:激しい交通事情の中で
現在の静岡市は,静岡県の県庁んあるとこであるとともに,首都圏と中京圏の中間に位置する東西交通の要衝や。政令指定都市を目指して,隣接する清水市を吸収合併して拡大志向を強めたが,そないな性格は変わったわけとちゃうんや。
行政区画としての静岡市に限らへんし,東海道沿い地域の交通量の多さと激しさは格別や。地域住民の日常生活の上での移動・交通ニーズに加えて,商工業に関して同地域とその他各地を結ぶ交通ニーズ,さらには首都圏と中京圏およびそれ以遠を結び,同地域を通過する長距離交通ニーズが加わるさかいや。特に長距離交通ニーズは,同地域の住民生活や地域経済やらには直接寄与するもんではおまへん,それどころか犠牲的負担を恒常的に強いられとる。しかもそのニーズの多さから,高速道路・幹線道路はいうに及ばへんし,ときには生活道路さえも過大な交通需要を支えるようになっとる。
かくして日常的に交通戦争に直面するっちうことが不可避となるんや。このことは歩行者・自転車・自動車のいずれにおいても同様や。同地域の高校生らの通学で利用する自転車による衝突事故については,よりどエライ昔に他局番組でも紹介された(せやけど「難問解決! ご近所の底力」では,清水警察署提供の衝突現場の映像を使用)ことがあることからも解るように,かかるもん自体は事実として存在するちうわけや。やけどこれがかかる激烈な交通事情のいかいなる一部分であるかを用心せなならへん。
番組において「静岡県内の県立高校に配置されとる「学校交通指導員」は、高校生の自転車マナー向上に大きな成果を上げとる」やらとして紹介してんもんは,かかる激烈な交通事情の矛盾を,自転車通学の高校生の「マナー」にツケを回し,その解決に向けてのトータルな問題把握と施策を阻むもんに他ならへん。また,「学校交通指導員」は教員でもなければ教育について何らの資格を持つもんでもなく,さらには交通問題に関したかて他者に「指導」をちう行為・働きかけを行う上で,いかいなる資質を持つんか疑問なんや。公道上だけやったらともかく,「自転車の整理・点検やら、安全を陰で支える」として学校内で活動するっちうことは,交通問題を口実にした,生徒はもちろん教員も含めた,行政わいによる学校教育現場に対する管理・監視の強化なんや。
自転車だけやのうて,歩行者・自動車も含めた,地域住民の安全と利便を確保し向上させる上で,個々の交通・移動主体がとなあかん行動のあり方について,根本的に見直すもんやないとあかん。
東京都荒川区:自転車課税シッパイのあとで
荒川区は,東京23区では自転車産業がもっともさかんな区やし,重要な地場産業の一つとなっとる。荒川区は,文京区に接する南部の一部が高台になっとるほかは,文字通り荒川に接した平坦な低地がほとんどをしめる地形で,自転車利用に便利わるさを感じる地理的条件はちびっとといえるちうわけや。それだけ交通・移動手段としての自転車利用のニーズは高いといえるちうわけや。
これに対し2000年12月,「“放置”自転車」対策費用の捻出を口実に,藤枝和博区長(当時)が,区内で購入される自転車への課税を画策したトコ,区議会・自転車店らの囂々たる反対により撤回し,翌年1月には区長を辞任するゆう事件があったちうわけや。また,台東区・中野区とともに,「“放置”自転車」返還費用が,全国最高額の5000円となっとるやら,荒川区わいは,自転車および利用者に対する敵対的姿勢により,その悪名をとどろかせとる(「荒川区が自転車から税金ぼったくろうとしよったん許さんで」参照)。
このとき区わいのもとには,当然にも,区内外を問わず,全国各地から自転車利用者をはじめとするようけの批判・非難,さらには弾劾の声が寄せられよった。爾来荒川区わいは,自転車および利用者を,主権者および主体的市民の一翼をなす存在としてやのうて,従来通りの対策の対象としてだけやのうて,お上わいの統制下におき,上からの組織化をおしすすめるべく,自らへの新たな権力付与と,それに伴う利権増大化を画策してきたちうわけや。そないな中で生み出されたのが「自転車運転免許証制度」なんや。
昨2002年に始められよった「自転車運転免許証制度」は,「安全な自転車の乗り方や交通ルール、自転車マナーについて学び、自転車事故を防止し、社会ルールを守る地域社会を実現する」やらとして,区わいが「区内の警察署、町会、PTA、青少年対策地区委員会等と協力して実施するもので、講義、筆記試験、実技講習を経」た者に「自転車運転免許証」を与えるゆうもんで,小学校4年生以上が対象で,大人も受講・取得可能としてん。自動車運転免許やらとちごて,運転に当たちうのん取得や携帯を法的に強制されるもんとちゃうんや。また公的資格を意味するもんでもへん。
そやかて,区内の公立中学校で,この「免許」が自転車通学の許可条件となっとるやら,実質的に強制力を持ち始めとる。あわせて,荒川区内の警察署や町会連合会・PTA連合会・交通安全協会やらによる「荒川区自転車運転免許証制度推進協議会」を設立したり,「自転車安全運転見守り隊」なるもんに組織・動員するやら,交通安全を大義名分とした,住民・大衆に対する上からの情報収集・組織化・動員の飛躍的強化がはかられとる。
番組では,「自転車のルール徹底を図る」効果やらについて自画自賛する荒川区長・藤澤志光を登場させとるが,これとあわせて「子供がルールを守っとる前で大人が無視するわけにいかないという効果」としてんもんについて,厳しく警戒するせなならへん。「ルール」を錦の御旗にしてんが,行政わい・権力者の最終目的はせやない。行政わい・権力者の意図に無批判的に盲従すべき存在としての意識を植え付け,(可能的)主権者・主体的市民たなあかん存在としての自覚・覚醒を阻むべく,まずは弱い立場にある子どもをターゲットにし,彼らを大人が既にもっとるトコの主権者・主体的市民としての意識を切り崩す尖兵として活用してゆこうとするもん,すなわちかのナチスのヒトラー・ユーゲントのごとき役割を期待されたもんに他ならへんからや。
自転車課税シッパイのリベンジは,行政わい・権力者に異を唱える者に対する予防弾圧をはかるべくなされた,ファッショ的大衆動員と組織化の拡大・深化やった。
「マナー」に名を借りたバッシングと草の根ファシズム
自転車および利用者に対するバッシングに際してたびたび「マナー」なるもんがあたかも「錦の御旗」のごとく持ち出されとる。これについても分析しておかねばならへん。
「ルール」と「マナー」
そもそも歩行者・自転車・自動車のいずれにおいても,移動目的・方向はもちろん,その身体的・経済力やらといった諸条件は多様なもんなんやし,それら相互に危険・対立・相剋が生じへんようにするんはもちろん,それら各々をして,それを規定する条件下において至善の移動を実現せしめることを保障するっちうことが,道路交通法をはじめとした,およそ交通ルールとされるもんの存在理由として要求されるちうわけや。
「法は最小限の道徳」といわれとる。その関係は「ルール」と「マナー」に置き換えても同様たなあきまへん。「法」−「ルール」は強制的拘束力を持つことからも明示的・限定的である必要があるんや。では「道徳」−「マナー」はいかにあるべきやろうか。こないな議論の前提として忘れてはならへんことは,これらが文化的背景をもち,それによってあり方が規定されとるちうことや。とりわけ,「道徳」−「マナー」は,それが包摂する範囲が広範なんやし,そのぶん個々人の日常生活においても,身近で密接な関わりを持っとる。
こないな観点から「法」−「ルール」および「道徳」−「マナー」のあり方について検証するもんやないとあかん。既存のそれらを盲目的に肯定したり,押しつけたりするっちうことは,何らの問題解決をもたらさへん。経済的・身体的条件の差異はぬかすに及ばへんし,さまざまな異なりよった価値観,文化的背景をもった多様な人々が共生する上で,共有できる認識と理解を,主体的市民のイニシアティヴのもとで構築してゆくことが求められるんや。すなわち,多文化共生の中での再構築が急務なんや。
真の危険はどこに?
以上のように,この番組はもとより,NHKには広範に,自転車および利用者に敵対的な姿勢が蔓延しとり,かかるもんがバイアスとして番組の内容に反映されとる。生活のなかでの移動・交通情況をめぐる問題の全体像の中で,自転車がおかれとる位置・位相をとらえ直したら,偏向番組としての犯罪性は,明らかになりまひょ。
その一方で,この番組でも取り上げられよったトコの,自傷他害を惹起する可能性のある行動が,歩行者・自転車・自動車の如何を問わず,一部の交通・移動主体において行われとることを否定でけへん。しかもかかる者が自らの行動が惹起するやろう危険の具体的内実について無知であることは皆無に等しいやろう。
もっともこないな認識された可能的危険の内実は,おおむね物理的なもんに限られよるやろう。やけど,現下の情勢のもとにおいては,それ以上の危険があることを想起せなならへん。すなわち,ここやでに明らかにしたように,かかるもんを口実にして,上からの組織化や大衆動員が行われるやら,ファシズム体制づくりに棹さすもんとなっとるちうことや。これらを含めたトータルな用心と警戒を,不断に堅持するもんやないとあかん。
そないな観点をもってしたら,自転車および利用者をめぐる情況はもとより,この番組「難問解決! ご近所の底力」そのもんがもつ問題性・危険性がハッキリと明らかになるちうわけや。そもそもスタジオに集まってくる「お困りご近所」やらとする集団は,先のアジア・太平洋戦争中に国家総動員体制−ファシズム支配体制の末端として組織した「隣組」や,関東大震災後の被災地で朝鮮・中国人の虐殺に手を染めた「自警団」のごときもんであるといわねばならへん。
物理的危険とともにファッショ性がもたらす危険に不断に警戒するとともに,かかるもんを煽情する番組を弾劾するちうわけや。
(2003.11.11)
関連
「フジテレビ番組で自転車ナメたことヌカしたん許さんで」
「“暴走”自転車」および「ルール」と「マナー」の扱い方についての問題は,こちらを参照
「TV番組「妙案コロシアム」でちょっとおかしなこと言うてたで」・ 「TV番組「金曜フォーラム」でちょっとおかしなこと言うてたで」
これまでのNHK番組における自転車問題の扱い方についての問題は,こちらを参照したってや。
「「全国自転車問題自治体連絡協議会」をつぶせ」・
「日本地方自治体の自転車“対策”と「全国自転車問題自治体連絡協議会」」
世界に類例を見ない愚劣な日本の自転車“対策”の元兇「全国自転車問題自治体連絡協議会」の犯罪性・欺瞞性については,こちらを参照したってや。
「駐輪場強行設置の根拠となった自転車法改正は実に漫画チックな策略」
(木村愛二はんのサイト 憎まれ愚痴 「仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記」より)
 
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